「生き延びることが本当は一番の正義」…白石和彌監督、集団抗争時代劇「十一人の賊軍」を語る
「初めからあるものだったら映画のために壊せないじゃないですか。壊すために造ったものだから、壊したほうが成就できますよね」と白石は笑う。
集団抗争時代劇(※注)は「僕にとってのロマンみたいなところがあった」と言う。笠原の軌跡をロングインタビューでたどる名著「昭和の劇 映画脚本家 笠原和夫」(笠原と荒井晴彦、絓秀実の共著)を通して、東映の脚本家だった笠原が「十一人の賊軍」を書いていたことを知り、のこされていたプロットにたどりつき、ひかれた。
「僕がやりたいものとプロットが合致したんだと思います。あと、小説とか漫画原作だと、時間の流れも含め、話が『映画サイズ』になっていない。でも、やっぱり笠原さんは映画の人なんで、大作であっても映画サイズなんです」。また、笠原が「成就できなかった」作品だったという点もポイントだった。「大作をやる上では、企画にストーリーがあるということも、すごく重要なので」
(※注)集団抗争時代劇は、様式化した時代劇から離れて、生々しいリアリズムを志向した作品群を指す。東映では、1963~64年ごろに目だって作られた。主な作品に、工藤栄一監督による「十三人の刺客」「大殺陣」など。
「全員討ち死に」にしなかった理由
「昭和の劇」で笠原は、かつて「十一人の賊軍」の映画化が流れたてんまつを明かしている。東映京都撮影所でのホン読み(脚本第1稿の検討会議)で笠原自ら脚本を音読していると、途中で当時の岡田茂所長(71年に社長就任、93年に会長。その後、相談役を経て名誉会長。2011年に死去)からラストを尋ねられ、「全員討ち死にで負ける」と伝えると、「そんな負ける話なんてどうすんのや!」と言われて、「アウト」に。そして、笠原は、200字詰め原稿用紙にして350枚もの脚本を自ら破り捨てることとなった。
もっとも、白石監督の「十一人の賊軍」は「全員討ち死に」ではない。生き残る者が2人いる。「脚本の池上さんは、『こういうことに巻き込まれた時、逃げるのも重要なことなんじゃないかということをやっぱり残しておきたかった』と言っていました。僕もその通りです。生き延びることが本当は一番の正義なんだっていうことを、誰かがどこかで言っていいかな、と」