「どうしたら一軍にいられますか?」阪神外野手の必死の問いかけに、闘将・星野仙一が放った衝撃の一言…「めちゃくちゃ気持ちが楽になった」
「この人のもとで野球をやりたい!貢献したい!――そう思ったのが星野さんでした」 そう話すのは元阪神の外野手・平下晃司氏(46)だ。 01年に近鉄からトレードで阪神に加入した平下氏は、04年途中まで在籍。野村克也・星野仙一両政権下で強くなっていくチームの一員だった。 【動画】近畿大時代の佐藤輝明 破壊力抜群の打撃練習!監督も「日本人ではなかなかいない」 今回は星野監督時代の思い出を語ってもらおう。
星野監督との食事会が選手を変えた
星野さんは一言でいえば皆さんがおっしゃるように「熱い人」です。とにかく「気持ちを出さんか!」という方でした。阪神にとって良かったのは、野村さん→星野さんのサイクルがうまくはまったことだと思います。 野村さんが野球の基礎をしっかりと教え込み、それを学んだ選手たちが星野さんのもとで、強い気持ちで野球をやることを教わる。楽天も同じサイクルでしたよね。野村さんのもとでプロ野球球団としての基礎をつけて、実力をつけつつ、星野さんで優勝しました。この2人が噛み合えば強くなりますよ。 星野さんはとにかくストレートな人でした。一流プレイヤーに対して忖度などしない。真正面から思うことを言うんです。当時阪神には、広澤(克己)さんがいたんですが、広澤さんのような大打者にも言いたいことを言いますし、外国人選手に対してもそうでした。立場など関係なく話すので、私にとってはやりやすい方でした。 一方で選手の話にもしっかり耳を傾けて、どうすればいいか答えてくれる方でした。 キャンプ中、星野監督との食事会が開かれます。その場で選手は一人一人監督と会話する機会がもらえるんです。 僕も星野さんと喋る機会をもらうことができ、星野さんにこんな質問をしました。 「どうすれば、星野さんのもとで一軍にずっといられますか?」 すると星野さんは、 「三振してもいい、全部お前らしく振れ。結果じゃないんだ。お前は3番を打てる打撃能力を持っている。だけど、頭と気持ちが能力に追いついていない。だから結果はどうでもいいから振れ」 そして、「岩村みたいになれ!」 とも言ってくれました。 当時、ヤクルトの岩村 明憲(宇和島東)がブレイクしていたのですが(01年の成績は.287 18本塁打81打点)、めちゃくちゃ気持ちが楽になりましたね。「振りゃいいんだな」とシンプルに考えることができたので。ほかの選手も星野さんからわかりやすい言葉で目指す選手像を伝えられ、みんな気持ちが楽になったと思います。 例えば今岡(誠)さんは「お前はオレが監督をやる限り、ずっと使い続ける。だから自分の力を最大限に出してくれ」といわれたそうです。そうしたら首位打者(03年)に打点王(05年)ですからね(笑) 僕は星野さんが監督になった02年、キャリア最多となる89試合に出場することができました。