住む場所は「幽霊屋敷」、到着したその日から緊急手術…台湾に派遣された脳外科医を待っていた「過酷すぎる勤務」
定年前の50代で「アルツハイマー病」にかかった東大教授・若井晋(元脳外科医)。過酷な運命に見舞われ苦悩する彼に寄り添いつつ共に人生を歩んだのが、晋の妻であり『東大教授、若年性アルツハイマーになる』の著者・若井克子だった。 【漫画】刑務官が明かす…死刑囚が執行時に「アイマスク」を着用する衝撃の理由 2人はどのように出会い、結ばれ、生活を築いてきたのか。晋が認知症を発症する以前に夫婦が歩んできた波乱万丈の「旅路」を、著書から抜粋してお届けする。 『東大教授、若年性アルツハイマーになる』連載第45回 『「冬に炭が買えない」ほどの貧困家庭から東大医学部へ…旅館の息子が6人家族を養うエリート脳外科医になるまで』より続く
1981年
JCMA(日本キリスト者医科連盟)は、晋が総主事を務めたJOCSの母体となる団体だ。医科連盟はアジア各地にあるが、日本・台湾・韓国の各連盟は、持ち回りで毎年エクスチェンジ・プログラムを行っている。晋も、医師となったあとは毎年このプログラムに参加していたが、その縁で台湾に派遣されることとなった。 「脳外科の医師がイギリスに2年ほど留学することになった。ついては留学期間中、留守を預かってほしい」 台湾の彰化基督教病院の院長から晋に直接そんな要請があり、いろいろ相談した末、JOCSのワーカーとして行けることになったのだ。当時、台湾に脳外科医は数えるほどしかいなかった。晋には神様のお導きのように思えたという。 実は、近所に住む中国人から言葉を習い始めて3年たったところだったのである。晋はもともと語学が好きで、英語はもちろん、学生時代からドイツ語や韓国語、ラテン語をかじっていた。 中国語は、散歩の途中で「中国語教えます」の貼り紙を見つけ、好奇心で始めただけだったが、 〈医者としての自分の技術が、台湾の人の役に立てばありがたい〉 そう考えたのだろう。院長の頼みを、晋は即座に引き受けた。 晋が海外での医療協力に興味があることは、私も知っていた。まさかと思っていたが偶然にも道が開け、私にも「行かない」という選択肢はないように思われた。こんな経緯で私たちは、同居していた晋の母を前橋に住む晋の姉に託し、台湾に赴くこととなる。