安田純平さんを拘束? イスラム過激派「旧ヌスラ戦線」とは
ジャーナリストの安田純平さんとみられる男性の動画が先月、インターネット上に公開されました。安田さんは3年前に内戦が続くシリアに渡り、行方不明になっていました。イスラム過激派に拘束されているとみられています。この過激派とはどんな組織なのでしょうか。元公安調査庁東北公安調査局長で日本大学危機管理学部教授の安部川元伸氏に寄稿してもらいました。 【図解】アルカイダかISか 宗派は? 林立するイスラム過激派を分類
◇ 猛暑が続く7月28日夜、中東方面からまたもや重苦しいニュースが流れてきました。日本人ジャーナリストの安田純平さんがシリアでイスラム過激派組織に拘束され、本人が助けを求める動画が放映されたのです。安田さんは2015年6月にシリアで消息を絶ち、後に現地のイスラム過激派組織に拘束されたことが判明しました。 安田さんを拘束している組織は、かつてはアルカイダと関係があった「旧ヌスラ戦線」(以降、単に「ヌスラ戦線」と表記します)とみられ、人質の映像を見せて日本政府や家族に何らかの要求をしているともいわれています。ヌスラ戦線(現在はシリアの反政府連合組織「タハリール・アル・シャーム」(HTS=「『レバント解放のための協議会』の意」と名乗っています)は、シリア・アサド政権を転覆し、同国にイスラム法(シャリーア)に基づくイスラム国家を建国しようとしているイスラム教スンニ派の過激派組織です。 しかし、この組織は、闘争方針、組織そのものを頻繁に改編するため、その実態には謎が多く、日本政府としても、安田さん解放のため数々の困難に直面していると考えられます。この「ヌスラ戦線」改め「タハリール・アル・シャーム」とはどういう組織で、なぜ外国人を拉致したりするのでしょうか?これらの問題について考えてみたいと思います。
アルカイダに忠誠、シリアでアサド政権打倒に動く
「ヌスラ戦線」は、米軍主体の有志連合がイラク攻撃を開始した2003年にヨルダン人テロリスト、アブ・ムサブ・アル・ザルカウィがイラクで創設した「イラクのアルカイダ」(AQI)が起源といわれています。「ヌスラ戦線」という名称は、2012年1月に初めて世界の表舞台に登場しましたが、アラブ社会が激震に襲われた「アラブの春」がシリアに飛び火した2011年には既にイラク国内で結成されていたことが判明しています。「ヌスラ戦線」は、現地アラビア語では「ジャバート・アル・ヌスラ」と表記しますが、これは、日本語では「勝利の戦線」を意味します。 組織の起源は、上述のように「イラクのアルカイダ」ですから、発足の時点から同じくスンニ派であるアルカイダの現地実戦部隊としての機能を発揮してきました。さらに、組織の改編を繰り返すごとに指導者のアブ・ムハンマド・アル・ゴラニは、オサマ・ビン・ラディン死去後のアルカイダの後継者アイマン・アル・ザワヒリに忠誠を誓ってきたため、西側の目を恐れた一部の反政府組織の要求でアルカイダから分離せざるを得なくなっても、ザワヒリは「ヌスラ戦線」(現在のHTS)を見捨てることなく、分離を認める寛容な声明を出しています。 さらにザワヒリは、2013年4月、イラクで結成された「ヌスラ戦線」とイラク人のアブ・バクル・アル・バグダディが指導者となった「イラク・レバントのアルカイダ」(ISIL:後の「イスラム国=IS」)の2つの組織に命じ、ヌスラ戦線にはシリアで、ISILにはイラクでそれぞれ作戦行動を行うよう指示しました。ISILは不満を抱いたものの、「ヌスラ戦線」は忠実にザワヒリに従ったため、ヌスラ戦線は、実質上アルカイダのシリア支部となり、アサド政権打倒を目標にシリア軍、シリア治安・情報機関等に対する攻撃を繰り返し行ってきました。一方のISILは、アルカイダ中枢の命に逆らったということで、ザワヒリからは破門を言い渡されました。これが引き金となって、「ヌスラ戦線」とISILは、2014年1月以降、シリア国内各所で戦闘状態に入り、それ以降、双方併せて数千人の死者が出たといわれています。 こうして2つの兄弟組織を比べてみると、それぞれのリーダーの性格が全く異なり、組織の運営にも明白な違いがあることが分かります。