安田純平さんを拘束? イスラム過激派「旧ヌスラ戦線」とは
度重なる組織改編でもアルカイダへの忠誠は不変
「ヌスラ戦線」は、たびたび組織を改編してもアルカイダへの忠誠心だけは忘れることがありませんでした。それは何故でしょうか? いくつか理由が考えられます。 (1)「ヌスラ戦線」のリーダー、アブ・ムハンマド・アル・ゴラニは、シリア・ダマスカスの医学生であったころ、米軍主導のイラク攻撃(2003年の「イラクの自由作戦」)の様子を見て次第にイスラムにのめり込み、アルカイダのオサマ・ビン・ラディンと関係が深いシリア人作家アブー・ムサアブ・アッ=スーリの著作を読むうちに、アルカイダのイデオロギーに深く傾倒していったといわれ、アルカイダを信奉する気持ちが人一倍強いといわれています。 (2)2010年12月にチュニジアで始まった「アラブの春」(アラブの民衆による民主化のための大運動)への対応に出遅れた感のあるアルカイダ中枢は、民主化の波がシリアに飛び火した際、早急に手を打つべきと考えました。まずは、国内のスンニ派組織を厳しく弾圧してきたシリアのアサド政権を倒し、代わりにイスラム法に基づくイスラム国家を立ち上げる必要がありました。後にバグダディ率いる「イスラム国」が強行したやり方とは違う、地域住民の支持を得た手法でなければなりません。そのためには、米国ほかの西側諸国の意向を受け、少なくとも現地実行部隊からアルカイダ色を消す必要がありました。「ヌスラ戦線」の一連の動きは、アルカイダ中枢とともに練り上げたカモフラージュ作戦である可能性があります。 (3)9・11米同時テロ以降、国際社会が一致団結して、アルカイダの締め付けに参画してきました。最高指導者のビン・ラディンを始め、アルカイダの幹部はドローン攻撃などで次々に殺害され、さらに資金源も断たれ、いまや組織の運営が非常に厳しい状況に追い込まれているといわれます。アルカイダの主要な資金源であったイスラム国家からの支援も激減しているといわれます。したがって、アルカイダとしては、歴史的に重要な資金源であった中東諸国の支持者からの資金ルート(特に中東各国からのジハード支援金が集まってくるカタール・ルート)まで失うことはできません。中東からの資金源を確保するためにも、変身した「ヌスラ戦線」を使ったカモフラージュ作戦が必要だったと考えられます。 (4)2016年7月、指導者のゴラニは、「ヌスラ戦線」としての活動を解消し、新たに「ファテム・アル・シャーム」(JFS)の結成を宣言してアルカイダからの離脱を宣言しています。さらに、半年後の2017年1月、ゴラニは反体制主要組織を統合した「タハリール・アル・シャーム」(HTS)を結成しましたが、2回ともアルカイダ中枢に相談なく勝手に組織解体とアルカイダからの離脱を決めているといわれ、ザワヒリとゴラニの関係が悪化しているとの観測も行われていました。 しかし、連合組織を結成する過程で、いくつか問題が浮上していました。まずは、JFSの結成後に問題が生じ、西側やスンニ派国家からの支援を失いたくない他の反体制派勢力や自組織内部からアルカイダとの関係断絶を迫る要求が出され、ゴラニはこの解決策について相当悩んでいたようでした。結局はアルカイダを裏切る形での離脱を選択しましたが、ザワヒリは予想外に冷静な反応を示していました。 このアルカイダからの離脱によって、HTSという反体制勢力の一大団結が可能になりました。アルカイダにとっても、自分の代わりに息のかかったゴラニのHTSが活躍すれば、目標は達成されることになるからです。 考えられる一連の背景として、シリア内戦ぼっ発後、一時期は「風前の灯火」とまで言われていたアサド政権が、2015年9月30日からロシアによる空爆が開始されると息を吹き返し、それ以降は逆に反体制派が不利な状況に追い込まれてしまいました。この状況を打開し、アサド政権を崩壊に導くためには、いままで不統一に行動していた反政府勢力の大同団結が必要だったのです。