目が覚めたらろれつも回らない…西城秀樹が“脳梗塞の疑い濃厚”のなか、海外ディナーショーを敢行した“壮絶な舞台ウラ”
2003年、韓国で脳梗塞を発症
そんな彼を脳梗塞という病が襲ったのは、2003年6月、48歳のとき。つんくプロデュースの85thシングル「粗大ゴミじゃねぇ」をリリースし、ディナーショーのために訪れていた韓国・済州島で、猛烈なだるさ、眠さを覚えた。その翌朝、目が覚めたら左の頬が右より下がり、ろれつも回らない状態であったという。 海外公演で症状が出るという心細い状態。韓国の病院でCTを撮り、一度は「異状なし」と言われている。しかし東京の慶應病院に勤める知り合いの医師を仲介し、電話で相談したところ、脳梗塞の疑いが濃厚になった。 それでも西城秀樹は、ディナーショーを敢行。医師からのすすめで、血液の流れを良くする意味で小児用バファリンを飲み、大人気曲「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」以外は、持ち味でもある絶唱系を避け、バラードを増やすリストに変え、無事乗り切っている。 西城秀樹自らが記した『あきらめない』(2004年、二見書房)には、当時の様子と不安が赤裸々に記されている。ステージ中はよかったが、終えた直後不安がどっと襲い、翌日、帰りの飛行機のなかでも「このまま目をつぶったら、一生、目を開けられないのではないか」 という恐怖に苛まれたという。 帰国後はそのまま慶應病院に入院。結果、医師から宣告を受けたのは「ラクナ梗塞」であった。脳内の細い血管が詰まり血流がうまくいかなくなる脳血栓症のひとつで、大きさは7センチあった。梗塞が位置的に脳内の言語を司る神経を塞いでいたために「構音障害」という後遺症が出て、これが彼を悩ませた。上手くしゃべることができなくなり、言葉がすぐに出てこなくなってしまったのだ。水が欲しくても「水」という言葉が、思い浮かばない。西城までは書けても「秀」からが思い浮かばない――。 歌手として、こんなつらい状態はない。もう歌えない、歌いたくない。しかし家族やファンが待っている。頭の中で「引退」を思い浮かべながらも、西城秀樹は退院後、7月15日に開かれた記者会見でこう答えるしかなかった。 「元通り歌えるようになるまでは時間がかかるかもしれない。でも、がんばりますから、応援してください」