目が覚めたらろれつも回らない…西城秀樹が“脳梗塞の疑い濃厚”のなか、海外ディナーショーを敢行した“壮絶な舞台ウラ”
退院から1週間後には舞台稽古に…
実際、スターだった西城秀樹はスケジュールが詰まっていた。この会見の次の日には福島県のホテルでショーに出演し、退院から1週間後には、病気前から決まっていた舞台「伝説のステージ FOREVER'70s~青春~」の舞台稽古が始まっている。しかもそのストーリーは、記憶喪失になり、人生を放棄した主人公・ユウキが復活するというもので、あまりにも西城秀樹の境遇に当てはまった。 共演の錦野旦演じるアキラから投げかけられる次のセリフは、とても響いたという。 「おまえ、歌をやめるのか。おまえの歌はいまだにおれの心の中に残っているんだぞ」――。 この舞台に立つのは、自分自身と向き合うようなもの。しかも公演は約2か月。名古屋中日劇場、新宿コマ劇場、梅田コマ劇場と回るハードなものであったが、つらいのは、体力的なものばかりではなかった。「何かやらなきゃ先には進めない」。そう思いながらも気持ちが折れそうになる彼に、新宿コマ劇場の初日、まさに救いの一報が入る。長男・慎之介の誕生だった。 〈「とても不思議だった。慎之介の泣き声を聞いた途端、あれだけ沈んでいたぼくの気持ちはプラスに大きく傾いた。これまで投与したどんな薬より、良薬だと思えた」(『あきらめない』)〉 そして、家族、ファンに支えられながら、その後も西城秀樹はリハビリを続け、歌手活動を継続していくことになる。前出の『あきらめない』には、 ・「タンッ」と音を出して舌を鳴らす(舌の強化) ・割り箸を奥歯で噛む(下がった口角を上げる) ・風船を膨らませる(マヒした神経を復活させる) ・早口言葉の練習 などの口、顎、舌を鍛える口腔機能療法についても書かれているが、それらの効果はおおいにあったようだ。 2006年には3年ぶりの、86th「めぐり逢い」をリリース。彼が悩みに悩んだ、ろれつが回らない後遺症、滑舌の危なっかしさをまったく感じない歌唱。音符に丁寧に声を置くように、美しいバラードを見事歌い上げている。
脳梗塞の原因
西城秀樹の脳梗塞がマスコミに発表されたのは、2003年が最初だったが、実際には2001年秋、1度目の脳梗塞を宣告されている。ふらつき、しゃべりにくさを訴え、自宅から近い聖マリアンナ医科大学病院に行ったところ、病名を言い渡され、すぐに緊急入院。ただ、このときは1週間ほどの点滴で調子が戻ったという。仕事の影響などを鑑み、マスコミには「二次性多血症」と発表されたのだった。 西城秀樹は3回目の脳梗塞に「ショックは何十倍でしたよ」…ベスト体重を維持するための“過酷すぎるダイエット”とは へ続く
田中 稲