<21世紀枠チカラわく>出場ならずも「県推薦」に手応え 三木北 選抜高校野球 /9
21世紀枠は都道府県レベルで推薦があり、次に全国9地区で各1校に絞られ最終選考にかけられる。県レベルの推薦校になることも「高校野球の模範的な姿を実践している学校」として地域で最も評価されたと言え、学校にとっては大きな栄誉だ。2009年の第81回センバツ大会で兵庫県高校野球連盟から推薦されたのは、県大会で4強入りした県立の三木北。当時、会社員をしながらコーチとして後輩たちに接していた佐野代行さん(52)は選手たちの姿から刺激を受け、40歳間近で改めて教員を目指した。あれから12年。今では教員監督として母校のグラウンドに立つ。 佐野さんは、三木北の1期生として入学。高3の夏の大会では2回戦で敗退したが「教え子と甲子園に行きたい」と高校教師になることを決意。大学でも野球部に入り捕手をしながら教職の単位を取っていた。だが、大学3年時にあと1単位が足りないのが分かり、夢を諦めた。 その後は生命保険会社を経て、家業の会社へ。仕事に慣れてきた06年からは、母校の野球部の指導者が十分な時間を割けなくなったため、コーチとして野球部の面倒を見るようになった。 転機となったのは08年だった。強い選手がそろっていたわけではなかったが、主将を中心に教え子たちは「甲子園に必ず行く」というスローガンを掲げて練習に打ち込んでいた。「グラウンド外も練習の場」と私生活でも手を抜かずに夢に向かって努力を重ねる選手たちは秋季県大会ではベスト4にまで進出。21世紀枠の県推薦校に選ばれた。表彰状と盾を主将が受け取った瞬間は今でも覚えている。「頑張ったら夢はかなうんや」と感動した一方で、教員になるという目標を諦めた自分が恥ずかしくなった。 地区推薦には漏れたが「県推薦校として頑張りが認められた」という事実は佐野さんにとって大きな力になった。5年後には「教員になる」という目標を立て、通信制の大学に入学した。仕事に追われ逃げたくなる気持ちが頭をよぎることもあったが、県推薦校に選出されて喜んでいた選手たちの姿を思い浮かべて誘惑を断ち切った。会社員として働きながらも平日3時間、土日の勉強時間は7時間を目標に掲げた。食事中も自作したプリントを読み込み家族からも心配されたほどで、当初の予定より1年早い4年で教員免許を取得できた。「あれほど勉強したことは人生でもなかった。でもそこまでしなければ受からないと思っていた」と笑う。 12年に教員に採用され、以来2校の野球部に携わった。そして19年、念願の母校に教員監督として戻ってきた。現在の野球部員はマネジャーもあわせて21人。ノックをしている時に「自分は幸せ者だ」と感じる。 野球部では11年12月から東日本大震災で被災した宮城県南三陸町の県立志津川高の野球部員と交流試合を毎年行ってきた。20年は新型コロナウイルス禍のため開催できなかったが、21年は野球部が主体となって生徒会がインターネットでの交流を実現し、志津川高の生徒から東日本大震災の被災状況について話を聞いたという。 「生徒には野球以外の面でもいろいろなことを吸収してそれぞれの夢をかなえる糧にしてほしい」。野球では「次の目標はセンバツ出場」と語る佐野さん。「教え子と甲子園の球場に入る時ってどんな気持ちになるんやろ」。バットを振りながら夢を見据えた。【隈元悠太】 ◇21世紀枠推薦校 秋季大会後に行われる1次選考では、単独地区扱いとなる北海道を除く46都府県高校野球連盟が地域の毎日新聞支局などと協議。一定の戦績を上げた学校の中から困難克服や地域貢献などを評価した各1校を推薦する。さらに9地区(北海道、東北、関東・東京、東海、北信越、近畿、中国、四国、九州)で各1校に絞り込まれる。候補校として9校が12月に発表され、1月に開かれる選考委員会で例年3校が21世紀枠出場校として選出される。今大会は新型コロナウイルスの影響で神宮大会が中止になったため、「神宮大会枠」分として21世紀枠が1校増の4校となった。