エンゲージメントは「やりたいこと」の先にあるのか ~現代社会における【自己実現】の誤解と限界~
2021年、米国では「大退職時代(The Great Resignation)」と呼ばれる現象が起き、4700万人もの労働者が一斉に退職したことが大きな話題となりました。 世界の労働市場は「社員のエンゲージメントの低下」や「離職率の増加」に直面しています。日本でも、多くの企業が社員をつなぎとめるために、報酬システムの見直しや働き方の改善に取り組んでいます。しかし、社員の心離れに対する解決の糸口は依然として見出されていないといえるでしょう。 今後日本では、人口減少によって一層「質の高い労働力」が求められていきます。今、働く世代にいったい何が起きているのでしょうか。そして私たちは、これらの課題とどう向き合えばよいのでしょうか。
Z世代の47%が「惰性で働いている」
2024年5月にニューオーリンズで開催された米国最大の人事学会「ATD24」では、パンデミック以降の職場の著しい変動が話題となった(※1)。数年前にSNSで話題となった「静かな退職(Quiet Quitting)」はその一つである。これは意欲を失った従業員が最低限の仕事だけをこなし、それ以上の努力をしない現象を指す。さらに「リゼンティーズム(Resenteeism)」という新たなトレンドも生まれ、職場に対する不満を抱えながらも、もっと良い仕事を見つける自信のなさなどを理由に、今の仕事を続ける従業員が増えているという。この傾向は特に若い世代に強く、実にZ世代の47%が仕事に満足せず「惰性で働いている」(※2)。 この状況が個人のパフォーマンスの低下のみならず、全体の組織風土に及ぼす影響の大きさは計り知れない。Gallup社の調査によれば、低いエンゲージメントが世界経済に与えるコストは8.9兆米ドルに達し、世界のGDPの9%を占めているという(※3)。 なぜ今、働く世代がこのような状況に陥っているのか。
仕事に対する意識の変化:【自己実現】についての誤解
近年、多くの心理学者が、働く世代の「仕事に対する意識の変化」を指摘している。 歴史を遡れば、かつて仕事とは人間の生理的欲求を満たすための手段であり、古代ギリシャでは「奴隷が行う蔑むべきもの」とされていた。しかし、フランス革命や産業革命を経た近代以降、日本を含む多くの先進国では、自分の意思で仕事を選べる環境が整い、仕事はより豊かな生き方を目指す「自己実現(self-actualization)」の手段と見なされるようになった(※4)。 ここで注意を向けたいのは、20世紀にマズローが提唱したこの「自己実現」という言葉である。 マズローはこの言葉を「偽りのない自分の姿で好きなことをしながら、それが社会貢献につながる状態」の意味で使っていた。しかし、現代人の多くは、この言葉を「(自分が)やりたいことを実現すること」だと思い込んでいる(※5)。心理学者たちは数十年以上前からこの誤解について指摘してきたが、SNSによってさらにこの風潮が助長されているように見受けられる。 昨今、就職活動や転職、キャリア面談などにおいて、「あなたが実現したいことは何ですか」という問いをよく耳にする。しかし、こうした狭義の自己実現の追及が続く限り、自分自身の欲求を満たす仕事以外にはやる気が出なくなったり、「これは自分がやりたいことではない」と、職場を転々とする人が増え続けるのも無理はない。 無論、仕事に対する価値観は個人の自由である。しかし、このまま「やりたいこと探し」に翻弄される個人が増え続けた場合、未来はどうなってしまうのだろうか。自ら選び、責任範囲を広げていける個々人を増やすことが喫緊の課題ではないだろうか。