裁判官時代の立場はまるで「共産主義下の知識人」…都合の悪い人間を排除する組織の「闇」に耐えかねて裁判官を辞めるまで
顔も見たくないような人々が増えてきた...裁判官を辞めた理由
最初のときは、まだ、裁判官なら一度は経験してみたいと考える東京地裁の裁判長をやっていなかったこともあり、裁判官を続けたいという気持ちのほうが強くて早めにお断りしたが、国立大学のときは、本当をいえば受けたかった。2つの住居を構える半単身赴任生活の不便とそれに伴うかなりの出費という問題がなかったなら、収入の低下という障害があったとしても、即座にお受けしていたと思う。2つの勧誘の間の3年間に、私の気持ちは大きく変化していたことになる。 2011年秋の明治大学のお話は、さまざまな意味で渡りに舟だったが、法科大学院の学生数減少という最近の状況を考えると、ぎりぎりで間に合ったというところだったのではないかと思う。 私が裁判官をやめた理由、学者に転身した理由としては、まず第一に、研究、教育、執筆に専念したい、人にはできない代替性のない仕事をしたいという気持ちが非常に強くなっていたことがある。前記のとおり、元々私は、その資質からすれば学者向きだったので、これはきわめて自然なことである。 しかし、第二に、消極的な理由として、裁判所にも、裁判官のマジョリティーにも、ほとほと愛想が尽きたということもある。はっきりいって、顔も見たくないというタイプが少しずつ増えてきていた。 そういう状況の中で、私は、2000年代の後半に、再び体調を崩した。今回については、前回と異なり、その原因はあまりにも明らかだった。いやな思いをしながら裁判官生活を続けることへの拒絶反応、そして、深夜と週末の研究による過労である。私は、回復した後にも、本当の意味で精神的な健康を取り戻し、生き生きした人生を送るためには、もはや転身を考えるほかないと考えるようになっていた。 実際、裁判官時代最後の7、8年間、そこにおける私の立場は、共産主義社会にあってじっと亡命の機会を待ち続けている知識人のそれに類するものであったか、少なくともそれに限りなく近付きつつあり、私は、常に、少しずつ小さくなってくる流氷の上に乗って漂っている人のような心細さを感じながら、日々を過ごしていた。 『“裁判所所長”による「法律」も「憲法」も無視したパワハラ…日本中に蔓延する“問題の大きい管理者裁判官たち”の実態』へ続く 日本を震撼させた衝撃の名著『絶望の裁判所』から10年。元エリート判事にして法学の権威として知られる瀬木比呂志氏の新作、『現代日本人の法意識』が刊行されます。 「同性婚は認められるべきか?」「共同親権は適切か?」「冤罪を生み続ける『人質司法』はこのままでよいのか?」「死刑制度は許されるのか?」 これら難問を解き明かす共通の「鍵」は、日本人が意識していない自らの「法意識」にあります。法と社会、理論と実務を知り尽くした瀬木氏が日本人の深層心理に迫ります。
瀬木 比呂志(明治大学教授・元裁判官)