[懐かしの名車] ホンダNSX(初代):和製スーパーカーが世界に挑戦
「人を犠牲にしないスーパースポーツカー」 それがNSXの開発コンセプト
それでは、ホンダが作るスポーツカーは、いかにあるべきなのか。検討する中で到達したのが、「人を犠牲にしないスーパースポーツカー」というコンセプトだった。当時の世界のスーパースポーツカーは運転が難しく、視界や空調も悪いのが常識だった。おまけに信頼性も低く、乗り手はつねに調子に気を配りながら、絶え間なくメンテナンスしなければ初期の性能は保てない。しかも、そんな苦労もまた、選ばれしオーナーの誇りという歪んだ価値観が蔓延していた。人がクルマの犠牲になることで、スーパースポーツの価値が成立していたのだ。上原氏のチームは、それを覆す「世界一の運動性能を快適に、安心して誰にでも楽しめるスーパースポーツカー」を目指したのだ。
徹底的な軽量化のために生まれたオールアルミモノコックボディ
ライバルと比べると非力なV6の3Lで世界一の運動性能を実現させるためには、軽量化が必須。それを実現させたのは、のちにホンダの社長になる伊東孝紳氏だ。初代CR-Xの樹脂製フェンダーを開発するなど、素材開発のプロだった彼は、社内の上層部さえ疑問視したオールアルミモノコックボディを作り上げた。ボディだけでなく、足まわりやシートのフレームまでアルミを使い、スチールと比べると約200kgも軽いクルマに仕上げたのだ。さらに、発売の1年以上前にプロトタイプを公開してスクープを封じたうえで、ニュルブルクリンクサーキットを8か月も走り込んで足を鍛えた。そのどれもが、当時の日本の自動車メーカーでは初めてのプロセス。
世界のスーパースポーツカーの在り方を一変させたクルマでもあった
そうして、NSXは狙い通り、快適で安心して乗れる、日本初のスーパーカーになったのだった。発売と同時にプレミアムが付く人気を呼んだNSXは、その後の世界のスーパースポーツカーをも変えた。フェラーリもランボルギーニもポルシェもNSXに触発され、信頼性/快適性/装備や質感の向上に力を入れた。今日では、そのどれもが快適な空調や良好な視界を備え、2ペダルで誰にでも運転できるのだ。 ただし、登場当時のNSXには、それ以前のスーパースポーツの価値観を当てはめた、的外れな論評も日本では見られた。曰く「誰にでも乗れるクルマを、スーパースポーツと呼べるのか?」「ゴルフバッグが入るトランクなどスーパースポーツには不要」。かと思えば、「タイヤの減りが早すぎる」というトンチンカンな評もあった。 もとより上原氏が目指したのは、スーパースポーツを民主化すること。乗りやすさや実用性に疑問を呈することは、その企画趣旨の根幹を理解していないことになる。言い添えるなら、ゴルフバッグが2つ入るトランクルームは、空力性能向上のためにリヤオーバーハングを伸ばしたことによる副産物であり、NSXを理想に近づけるために、後付けした付加物ではない。