岸田首相には、ずっとのど元に刺さった小骨があった 退陣の裏で画策された続投の「奇策」【裏金政治の舞台裏⑥】
自民党総裁選は現職優位の歴史がある。にもかかわらず、岸田文雄首相は再選を諦めて内閣の退陣を決めた。その最大の理由は「自民党トップなのに派閥裏金事件の責任を取っていない」という批判だ。政治不信の逆風が止まらない中、続投に向けた「窮余の策」も浮かんだが、最終的に不出馬カードを選んだ。裏金処分と政権末期の内幕を振り返った。(共同通信裏金問題取材班=杉田雄心) 【写真】「頼りないと言われても…」夜、岸田首相は公邸で日本酒をあおり、突っ伏して寝てしまった
▽タブー破りでも批判なし 岸田首相が広島の地元関係者に辞意を伝えたのは、退陣会見の4日前となる8月10日だった。「私が責任を取らないと収まりがつきません」。「何でや、思い直してくれ」との慰留にも首相の意思は固かった。 岸田降ろしの号砲を鳴らしたのは菅義偉前首相だった。通常国会が終わった6月23日、インターネット番組でこう語った。「総理自身が派閥の問題を他の派閥と同じように抱えているわけで、責任をとっていなかった。いつとるのかと、みんな見ていたけど、結局その責任について触れずに今日まできている。そのことについて不信感というのは一般の国民は結構多いと思う」 実は自民党には「前首相は現職首相を批判しない」という不文律がある。1979年に大平正芳首相と福田赳夫前首相が鋭く対立し、党分裂寸前となった「40日抗争」の教訓からだ。 ただ、菅氏のタブー破りを批判する議員は少なかった。「現状の低支持率の岸田内閣では衆院選に勝てない」(閣僚経験者)という党内の大勢を代弁した発言だったからだ。
岸田首相にとってトップの政治責任論はのど元に刺さった小骨のような存在となった。 ▽執行部にA、B、C案が提示された そもそも自民党執行部が下した裏金処分はどう決まったのか。時は4月2日に戻る。午後3時17分、国会3階の自民党幹事長会議室に岸田首相、麻生太郎副総裁、茂木敏充幹事長、森山裕総務会長の4人がそろった。そこで配られた紙には「A、B、C」の順に書かれた三つの処分案が並んでいた。 焦点は安倍派(清和政策研究会)幹部の「5人組」と二階派(志帥会)の武田良太事務総長の処遇だった。C案は2022年8月、安倍派で裏金復活について協議した塩谷立、世耕弘成、下村博文、西村康稔の4氏をまとめて離党勧告とするものだった。だが、突っ込んだ議論もなく選択肢から外れる。萩生田光一前政調会長らを「選挙での非公認」とするA案も「前例がない」ことを理由に却下された。 残ったのはB案。塩谷、世耕両氏を離党勧告、下村、西村、高木毅、武田の4氏を党員資格停止とし、萩生田氏は党役職停止とする内容だった。高木、武田両氏は直近で安倍、二階両派の事務総長に就いていた点が考慮された。麻生氏が推していた内容だった。