“令和の怪物”佐々木の故障予防の決勝登板回避に賛否
国保監督の決断を支持する意見は、「3年間生徒を見続けてきた監督が、選手の身体のことを考えて下した決断は一番尊重されるべき」「負ければ叩かれるのに大人の決断をしたのは素晴らしい」など佐々木の将来を考えた選択を評価するものだった。 佐々木は今大会で16日の2回戦の遠野緑峰戦で19球、18日の3回戦の一戸戦では、6回参考記録ながらノーヒットノーランを記録、93球を投じた。21日の4回戦の盛岡四高戦では、延長12回を一人で投げ抜き194球、最速は160キロをマーク。22日の準々決勝は温存され、中2日空けた24日の準決勝の一関工業戦では、15奪三振、2安打完封勝利で129球。ここまで29イニングで計435球を投げてきた。しかも、佐々木は、まだ肉体が出来上がっておらず、体力への不安もある。 過去に登板過多で故障を引き起こした悲劇は少なくない。 1991年の夏の甲子園では沖縄水産の大野倫が6試合で773球を投げ抜いたが、大阪桐蔭との決勝で力尽き、大会後、右肘を疲労骨折していたことが判明した。大野が、まさに腕が折れるまで投げたことは当時、美談にされたが、九州共立大に進んだ大野は、外野手に転向。その後、巨人にドラフト5位で指名されプロ入りの夢は果たしたが1軍での活躍はできずユニホームを脱いだ。2013年のセンバツでは、当時、愛媛・済美高の2年生だった安楽智大(楽天)が、3日間の連投を含む5試合に登板して実に772球を投げ、このとき右肘靭帯に異常が発生、日米で登板過多の悲劇が大きな問題になった。安楽は楽天にドラフト1位で指名されたが、今なお伸び悩んでいる。 登板過多の影響が少なからず出ている。佐々木の未来を考えるのなら登板回避は英断ともとれる。新潟の高野連が投球数の制限ルールを導入しようと試みて議論になったが、国保監督が自主的にある意味、肩、肘の健康被害を防止するため、投球数を制限したとも考えられる。甲子園を逃せば批判を受けることを承知で、日本野球界の“未来の至宝”を守ったのだ。 一方、反対意見は、「選手の将来とチームの勝利を天秤にかけた」「私物化とも言われかねない最悪の采配」「佐々木の未来を守るために他の球児の未来を犠牲にしてしまった」などという厳しいもの。勝利至上主義、甲子園絶対主義への批判の声はあるが、選手の目標はやはり甲子園にある。故障でもない限り、選手の気持ちを最優先すべきではないか、という考え方だ。佐々木自身の本当の気持ちはどうだったのか、という疑問もある。