森友文書問題の根幹は何か…ズサンなデータ管理、情報肥大と日本の中枢劣化
森友学園国有地売却に関する財務省の決裁文書が書き換えられた可能性の報道をめぐり、国会が混乱しています。今国会では国が最重要法案と位置づける「働き方改革」でも、厚生労働省のデータに不備が見つかり、裁量労働制拡大が見送られる見通しとなりました。 官庁だけでなく、民間企業や研究機関など日本の中枢を担ってきたさまざまな機関で、このようにデータの不正や不備、ズサンな文書の取り扱い問題が起こっています。これらの問題の根幹に何があるのでしょう。文化論に関する多数の著書で知られる名古屋工業大学名誉教授・若山滋氏が執筆します。
厚労省と財務省と文科省のズサンな「文書・データ」管理
裁量労働制に関して政府が示したデータがきわめてズサンなものであったことが問題になって、首相はこれを「働き方改革」の法案から外す決断をした。 明らかに厚労省のミスと思われるが、単純なミスだったのか、そこに意図的な操作や捏造があったのか、にわかには判断できない。官邸の意思に沿って都合のいいデータをそろえたとも思えるが、逆に、明らかにズサンと分かるデータを提出することによって法案成立を阻む意図が働いたという推測も成り立つ。なぜならこの改革は、経済団体の要望を入れるかたちで進められ、従来の厚労省の立場とは合わないところもあるからだ。 そしてこのところ、例の森友学園問題が新展開を見せている。 もともとこの疑惑の焦点にあった人物が、税金事務のトップである国税庁長官に出世したことに違和感があったが、今度は、事後に公文書を書き換えたという疑惑が浮上した。事実なら由々しき問題であり、野党は内閣総辞職を迫るという。書き換え前の文書の存在を巡って紛糾しているが、加計問題で時の人となった文部科学省の前川前事務次官の発言も、官邸の指示を示すメモのあるなしに関するものから始まった。 どちらも中央官庁における文書とデータの扱いの問題なのだ。うがった見方をすれば、現政権に対する官僚たちの反撃ともとれる。 これまでの政治問題は与党と官僚のタッグに野党が挑むかたちだったが、今回は、官邸と省庁、あるいは省庁と省庁、あるいは同じ省庁内部の軋轢として現れた。日本の中枢がギシギシと音を立てて軋んでいるのだ。 筆者は、新卒一括採用、年功序列、終身雇用という日本社会の雇用習慣は、封建時代の藩のように個人を束縛する「家社会」の特質であると考えてきたので、裁量労働制が葬られるのは少し寂しい気がする。また官僚の個人的な忖度から始まった問題によって内閣が倒れるとすれば、久々の長期政権が持つ外交上の優位、日本経済のダイナミズムなどが損なわれるのではないかとも懸念する。 野党とマスコミが、これを政局として扱おうとするのは当然であろう。しかしここではむしろ、官僚組織における文書とデータの扱い、そのズサンさに焦点を当てたい。その根底には、現政権の問題を超えて、日本社会における「情報の肥大」と「中枢の混乱」という文化的問題が横たわっているような気がするのだ。