森友文書問題の根幹は何か…ズサンなデータ管理、情報肥大と日本の中枢劣化
中枢混乱から中枢劣化へ
建築も、外壁の傷や内装の剥がれなど、見れば分かる仕上げの劣化は修理が簡単であるが、基礎や柱や梁など、主体構造の劣化は、ちょっと見ても分からず、修理も難しい。 今日の官僚組織に現れている文書とデータの粗雑な扱い、科学的研究におけるプロセス確認の困難、ものづくりにおける管理と現場の乖離、そして科学技術の問題を報じるマスコミの検証姿勢の欠如は、情報肥大によって、日本社会の中枢が混乱から劣化に進んでいることを示すのではないか。 政治家と官僚は、累積する膨大な財政赤字に責任を取ろうとしない。民間企業はバブル時代の清算に辛酸をなめてきたが、政治と行政の組織と経費はバブル時代に肥大したまま、自己改革を怠っている。つまり、政治、行政、研究、教育、報道、批評といった仕事に関わる、日本の知的中枢が劣化しているのだ。優秀であったはずの現場技術者も、ついにその中枢の劣化に耐えきれなくなっている。 スポーツにもいえる。大相撲でも冬季オリンピックでもレスリングでも、選手たちの活躍は目覚ましいが、指導的立場にある人間とその組織としての協会には問題がありそうだ。日本衰退の原因は、筋肉にではなく、中枢にある。 江戸幕府が、黒船の文明力と尊王攘夷の炎に耐えられなくなって瓦解したのも、太平洋戦争において、大本営が現場の独走に引きずられ、戦略もないまま、神がかりに頼ったのも、中枢の混乱と劣化が、ある種の外力を契機として社会崩壊に至った例であろう。 部分的外面的劣化なら修理が容易だが、「中枢劣化」はほとんど解体して建て直すほどの国民的覚悟が必要だ。まず国会と行政から始めるべきだろう。 大臣を辞任させ、あるいは内閣を倒せば済む、といった問題ではない。