元東京国税局局員のライターが教える、フリーランスの税金対策と「フリーランス新法」の活用術
元東京国税局職員から35歳でフリーランス・ライターへ転身。2020年に発行した『すみません、金利ってなんですか?』(サンマーク出版)が14万部のベストセラーを記録した小林義崇氏。 小林氏の新刊『新しいフリーランスの歩き方』では、「食べていけるフリーランスに必要な生存戦略」を仕事術やブランディングから資金管理やメンタルの保ち方まで多岐にわたって書かれている。 今回、公務員からフリーランスに転じた小林氏に、フリーランサーとして生活し続ける術について聞いた。
上阪徹氏がロールモデル的な存在になった
――紆余曲折があったものの、35歳で東京国税局を退職してフリーライターに転身しました。 小林:30歳すぎで「自分らしい生き方」を模索して、働き方を考え直し始めたわけですが、独立に踏み切らないまでも、転職するにも段々と年齢的に難しくなっていきます。この時期を逃したらムリだな、と思っていました。 最初に知り合ったライターさんが上阪徹さんだったのは大きい。 成功されている方だし、仕事についての哲学やライフスタイルに憧れる気持ちも強かった。僕にとって背中を追いかけるロールモデル的な存在で、勇気づけられました。ご縁なんでしょうね。 ――人との縁や物事と出会うタイミングに恵まれたのは確かでしょう。 ただ、異業種交流会やメディア関係者の集うイベントに参加したり、ブックライターの上阪徹さんに著書の感想を送ってブックライター塾に通ったり、小林さんが能動的に動いたからこそ独立が叶ったように映ります。 小林:周到に準備したつもりはありません。ただ、できることはやってみよう、とは思っていました。 イベントも誘われれば断ることなく参加していましたし、機会があれば、どのようなことにも応じていました。確かに、振り返れば、業界のイベントなどに誘われて、断ったことはほとんどありませんね。
収入が安定するまでに2年を要した
――強い思いと行動力をもって念願のライターになったわけですが、すぐに安定した収入を得られたのですか? 小林:独立してライターとして仕事を始めて、生活できるまでに2年かかりました。 3年目に前職並みの収入になり、4年目に手がけた『すみません、金利ってなんですか?』(サンマーク出版)がヒットして大きく跳ねたので、収入的にはずいぶん助かりました。 妻の入院をきっかけに、仕事のやり方や案件の単価にこだわるように……。 ――およそ2年、十分な収入を得られない期間があったわけですね。独立前、フリーライターの仕事が軌道に乗るまで、生活を成り立たせる準備などしていましたか? 小林:退職前に多少の貯金があったのと、公務員なので退職金が少し出たので、半年は生活していける……という試算はしていました。 実際は、貯金を食い潰しながら生活していたというのが本当のところです。ライターになった当初は、単価の安い案件も多かったですね。 大阪まで行って1日かけて取材して交通費+1万円という仕事もありました。これでは、家族にお土産を買ったら、ギャラがほとんどなくなってしまう(苦笑)。最初は、低単価の案件でも面白い、と捉えていたので仕事を受けていたんです。