「日本の多様性を守りたい」 地域に根付く文化をつなぐ「石徹白洋品店」
「石徹白洋品店(いとしろようひんてん)」は、岐阜県郡上市石徹白に伝わる伝統的な衣服を現代服として提案する。地域に伝わる5つの衣服をリデザインして、自社で育てた藍や土地にある植物で染め、地域の人々が縫製する。現在は事業拡大に伴い岐阜市の松野縫製にも依頼する。手掛ける平野馨生里店主はアパレル未経験で人口約200人の石徹白に移住してから服作りを始めた。 【画像】「日本の多様性を守りたい」 地域に根付く文化をつなぐ「石徹白洋品店」
「日本の多様性を守る」ためのモノ作り
「仕事で訪れた石徹白が気に入って移住を決めた。将来どこに住むかを考えていた頃で、これまで住んだことのある地元の岐阜市、学生時代の神奈川県藤沢市や東京都大田区、短期滞在したカンボジア・シェムリアップはどこもピンとこなかった」。直感だった。「自分たちで食べ物を作り、家を修繕して自分たちの手で生きている人がいた。自分もこういう暮らしができれば何かあったときも強く生きていけると思った。過疎が進み限界集落と言われているけれど自然も文化も豊か。縄文時代から続く山間地域で、ここで紡がれてきた文化や歴史を尊び、学び、地域文化を継承していきたいと思った」。
平野店主は20代の頃、任意団体のオルガン(現在はNPO法人)のスタッフとして岐阜市で街づくりに取り組み、その仲間と「長良川流域持続可能勉強会」を定期的に行っていた。「エネルギーと衣食住、教育・福祉はある程度地域内で循環させる必要がある。その中でエネルギーは身近で大事だけど目に見えないし遠くで作られている。エネルギーから取り組もうと長良川流域のいろんな地域で水力発電の実験事業を始めた。その事業で訪れたのが石徹白だった」。
服作りを始めたのは「石徹白で仕事をつくりたかったから。冬は雪深く土地の人々は手仕事をされる。こういう所で仕事をつくるならモノ作りがふさわしいと思った。服は自分を表現することができるアイテムでもあるし、私自身アトピーで市販の服が着られなかった時期があり、肌の弱い方でも安心して着られる素材や縫製の服を作りたいと考えた」。当初は現在提案する地域に根付く衣服ではなく、いわゆる洋服を作っていたが、シグニチャーアイテムになる“たつけ”との出合い、そして恩師の助言が転機になった。「先人の作業着だった“たつけ”を日常的に着ている人はいなかった。作業歌とその踊りが伝わり、それが石徹白民謡の盆踊りとして残っていた。“たつけ”はその舞台発表衣装として着るものとして定着していた」。2012年、学生時代にお世話になった森本喜久男さんが石徹白を訪ねてきた。「森本さんはカンボジア伝統の絹織物の復興と、伝統的養蚕の再開に取り組んでいる方。石徹白を案内する中で土地に残る古いものを集めて展示している古いもの資料館を紹介した。展示されていた“たつけ”を見て『これを作るといい』と助言してくれた。