感性にもとづいた人間としての暮らし、自然の一員としての生き方を考える―大野 一道『〈決定版〉ミシュレ入門 〔愛/宗教/歴史〕』中村 桂子による書評
◆嚙みしめる「行為において貧しく」 十九世紀に『フランス史』や『フランス革命史』を著した歴史家ジュール・ミシュレは、『民衆』、『女』で十九世紀の社会問題を扱い、『海』、『山』、『虫』、『鳥』などで自然まで語っている。歴史は政治史とされる常識に対して、人間の暮らし全体を見ようとした結果、対象が自然にまで広がったところが興味深い。 一七九八年生まれのミシュレは、「キリスト教で覆い尽くされていた中世的世界と、近代への一歩を大きく踏み出したと言える革命との、せめぎ合いの中で育っていったのである」。中世からの脱出を「ルネサンス」と名付けた最初がミシュレだとされる。彼は、古代ローマ、ギリシャの再生に止まらず、感性にもとづいた人間としての暮らし、自然の一員としての生き方を考えるところまで回帰し再生しようという思いをこの言葉にこめた。 ミシュレの仕事は、フランスに生まれたアナール派につながり、そこでは地球の営みとそこに生きる人間の営みとを包括的、総合的に捉える歴史が描かれている。「地球における人類史」という視点が不可欠な今こそ注目すべき人と考えた著者によるミシュレ紹介が、本書である。 再生への始まりと位置づけたフランス革命以後の近代が、ミシュレの考える生き方につながったかと問えば、答えは否だ。その今という時代を「戦争」、「不寛容」、「環境」の時代と捉え、「変革」が必要と考えた著者は、この四つの課題を考えさせる言葉をミシュレの中に見出し、そこから再生への道を探ろうと誘う。 「戦争」では、十字軍とフランス革命時の虐殺を取り上げる。十字軍では、「ローマ教会はそこで何を得たのか? 果しもない憎悪であり、教皇には一つの疑念だ」と書き、「流された血はあなた自身の心の中で抗議の声を上げるだろう」と続ける。教皇をも一人の人間として見るのだ。革命時には民衆も虐殺者となる。そこには「絶対理念」があり、それを共有しない者を許さない。ミシュレはその克服を自らの課題とした。 「不寛容」では魔女を取りあげる。人間として認められない農奴の中で、女性は更に疎外され、領主の下僕の慰み者にされもした。世間から追放された女性は荒野で動物や鳥と仲間になり、自然の中に薬を見出して助産婦役を担う。魔女の誕生だ。ミシュレは自然軽視の中世が無視してきた民衆、とくに女性の人間としての復権を願ったと著者は説く。その底には、自身をも含めてすべての人を民衆と見る水平の原理があり、それは鳥や虫などの自然にも及ぶ。 「変革」の章では、「本来人間は皆民衆として平らである」とするミシュレの、子供、女、若者に向く目に注目する。「成長しているのは誰でしょう?子供です。渇望しているのは誰でしょう?女です。熱望し上昇してゆくだろうのは誰でしょう?民衆です。/そこにこそ未来を探し求めねばなりません」。ここでも近代はミシュレの期待を裏切っている。 万物と人間とが生命体として一つであるとするミシュレの考えは、今まさに私たちに求められるのであり、それは洋の東西を問わず、すべての人の心の底にあると捉えてよいものなのだ。ミシュレの「言葉において豊かで、行為において貧しく、地球を、<ハハナルダイチ>を忘れた」という言葉を嚙みしめたい。 [書き手] 中村 桂子 1936年東京生れ。JT生命誌研究館館長。生命誌という新しい知を提唱。 東京大学理学部、同大学院生物化学博士課程修了。 [書籍情報]『〈決定版〉ミシュレ入門 〔愛/宗教/歴史〕』 著者:大野 一道 / 出版社:藤原書店 / 発売日:2024年10月29日 / ISBN:486578439X 毎日新聞 2024年11月23日掲載
中村 桂子