養老孟司が考える現代人の問題点。「今の時代<手術が成功してがん細胞は撲滅しました。でも本人は亡くなりました>になりかねない」
◆スマホに入れっぱなしの写真 鵜飼 この20年ではスマホが普及し、学習の仕方から暮らしまで大きく変化しました。電車の中で本を読む人はまれになり、多くはスマホをいじっています。 養老 脳をひとつのことに集中して使う習慣が失われ、スマホで広く浅く使うことのほうに慣れてしまったのでしょう。そのことで最近気になったのは、虫展に来る人来る人、「写真撮っていいですか」って聞き、やたら撮っていること。 あれ、どうするんだろう。記録のつもりだとしても、撮りっぱなしじゃ記録として使えない。子どもたちには、標本づくりでは必ず、いつどこで誰が捕ったかを記したラベルをつけるよう教えている。これがないと標本とはいえない。撮りっぱなしの写真もこれと同じです。 鵜飼 多くの場合は、スマホに写真を入れっぱなしでしょうね。 養老 あったことはしょうがない。だから記憶を残す。これがドキュメントを大切にすることだけど、終戦のとき、日本軍は軍関係の書類・記録を廃棄、焼却したでしょう。戦後の日本ではアーカイブはいちおうあるけれど、あまり整理されていない。 ことほどさように日本人は記録を大事にしない。写真を撮りまくったって、どうせほとんど見やしない。記録を大事にしないから、やたらと撮影する。そこに現代の盲点があるように感じる。 それは、世界にものが存在する実体感が希薄になっていることとも関係している。
◆実体感 鵜飼 実体感ですか? 養老 人間の身体の知覚とカメラという機械の知覚は違うでしょう。カメラの場合、要するに物理的な光のある状況を映していて、写真は、ある意味で光のいたずらとも言える。でも、世界には光があたっていないところもあり、写真の背景には映っていない何かがある。 ものの実体感、実在感がある人は、その映らなかったものに思いを寄せるけれど、子どもの頃から自然に接していない今の人は、実体感が希薄だから写真に映っているものがすべてになってしまう。 展示してある虫の実物は肉眼でよく見ず、スマホばかり覗いている人を見ながら、そんなことを考えました。 鵜飼 ちょっと難しいですが……。 養老 結局ね、実体感っていうのは、自分がどのくらいものごとに一生懸命関わってきたか、どんな日常を過ごしているか、それで決まる。例えば、銀行に勤めている人にとってはお金に実体感があるんだよ。お金が抽象的なものだなんて思ってもいない。面白いのは数学者だね。彼らは数のことしか考えていないから、数は実体なんです。 鵜飼 「数学的な自然」があるという数学者もいますね。 養老 ここに3個の茶碗があるでしょう。そうすると、数学者は、ここに3という数字が不完全に実現されているって思っている(笑)。 鵜飼 養老先生にとって実体感があるのは? 養老 もちろん、自然ですよ。でもそういうところで話の合う人が減っちゃった。みんなスマホばかり見ているんじゃ、どうにもならない。時代遅れになったなあ。歳とったなあと思う。