真っ黒な「富山ブラックラーメン」はいかにして誕生したのか。北陸屈指の個性派ラーメンの発祥の秘密に迫る
●北陸屈指の個性派ラーメン「富山ブラックラーメン」。元祖の系譜を継ぐ『西町大喜』を訪れ、その誕生秘話を探ってきました。
北陸エリアにはいくつものご当地ラーメンがあります。中でも独特の味わいとその見た目から、“個性派”としての代表はやはり「富山ブラックラーメン」と言って良いでしょう。 真っ黒な「富山ブラックラーメン」の関連画像 本記事では、富山ブラックの始祖と言われる名店『西町大喜』の「中華そば」を味わいながら、その誕生秘話に迫ります。
ラーメンを「おかず」として、客が自分で持参したご飯を食べていた!?
「富山ブラックラーメン」は富山・西町に1947年に開店した『大喜』の店主・高橋青幹氏によって考案されました。 『大喜』が開店した年は、戦後間もない復興期で、市街地のほとんどが富山大空襲の焼け跡が色濃く残る状態。インフラを立て直す目的で、肉体労働者が街中にあふれていた時代です。 そんな中、“オヤッさん”の愛称で常連客から慕われていた高橋氏は、後に肉体労働者たちのために、「腹持ちの良いラーメン」を考えます。汗水垂らして働く肉体労働者たちは、失った塩分を補給するためしょっぱいものを好み、また「空腹を満たすため、ラーメンをおかずに自分で持ってきたご飯を食べる」客も多くいたことから、従来のラーメンに醤油・コショウなどをさらにきかせ、「おかずにもなる」コシのある太麺を採用し、今日の「富山ブラックラーメン」の原型を考案しました。
真っ黒なビジュアルと独特の味わいから、歴史の浅い創作系ラーメンと思っている人もいるようですが、実はゆうに77年もの歴史を持つ、富山の人々に根付いたまさしく「ご当地ラーメン」なのです。 『大喜』の黒いラーメンの味わいは一度食べるとヤミツキになり、噂が噂を呼び、一時は千人もの行列をなすこともあったそう。今日では『大喜』に敬意を示しながら、さらに進化させようとする「大喜インスパイア」も続々登場し、富山エリアには数多くの店で「富山ブラックラーメン」が供されています。
『大喜』の系譜を継ぐ『西町大喜』の味わいとは?
「富山ブラックラーメン」の元祖『大喜』は諸事情から一時閉業を決意。しかし、多くの惜しまれる声に後押しされ、2000年代はじめに『西町大喜』としてリスタートすることになりました。 現在、『大喜』の系譜をそのまま引き継いでいるのが『西町大喜』で富山市内に3店舗を運営。いずれの店も連日行列が絶えず、絶大な支持を受け続けています。というわけで筆者もこの『西町大喜』のとやマルシェ店で、その味をいただくことに。