フェアーグラウンド・アトラクションが語る日本での再出発、名作の誕生秘話、解散の真相
ピュアなロマンティシズム、80年代のロンドンでの暮らし
―それでは、今回の来日に合わせて、ソニーからアナログLPで再発売もされた『ファースト・キッス』について、幾つかのキーワードと共に振り返りたいと思います。まずは、とてもロマンティックなアルバム」だということです。安っぽくない、とてもピュアなロマンティシズムに溢れた作品となっています。このロマンティシズムはどこからきたのでしょう。 エディ:私たちは40年代、50年代の音楽で育てられたから。 マーク:ジュディ・ガーランドとミッキー・ルーニーの共演映画とか。 エディ:彼はああいった映画が好きなのね。私はとにかくジュディ・ガーランドが大好きよ。私たちはどちらも音楽好きの親に育てられた。うちの父はエルヴィスの大ファンだったし、パーティーではみんなが歌った。子供たちも歌わなくちゃならず、お客さんがやってきたときはその歌を毎回歌わなくちゃならなかった。 そうそう、興味深い話なので、話させて。ニュージーランドに行ったときのことよ。ハカ (先住民マオリ族の戦いの舞い)は知っているでしょ? そこで先住民の首長が、君らも祖父母や両親の曲を歌う準備をしなくちゃならないと言うの。「どうして?」と訊いたら、「それで君が何者かわかる」って。どのように育てられたかは重要ね。本当に自由に音楽を楽しむ人たちと育って、音楽に取り組むとき、すべてのパレットを用いることを教えられた。私たちは流行だからとか、ビジネスとして成功するためにとかで音楽をやっているわけじゃない。自分たちの愛する音楽をやりたいようにやろうとしているのよ。レコードに吹き込むことになろうが、なるまいが、どういった方向に進もうがね。私たちは音楽に対しても、とてもロマンティックなヴィジョンを持っていたわ。 ―エディ、前回会ったのは、19年のロンドン公演で、あなたは「舞台上で故郷に帰ってこれて嬉しい。(80~90年代に住んでいた)ロンドンは部分的に故郷の街だから」と挨拶して、「フェアーグラウンド・アトラクションの曲はすべてロンドンで書かれたの」と話しました。 エディ:ええ。ロンドンへのラヴ・ソングとも言えるかも。 ―確かに、この作品は「ロンドンのアルバム」と言えますね。地名などの固有名詞が幾つも織り込まれているし。 マーク:うんうん。 ―80年代のロンドンという時代と場所はどのように作品に影響しましたか? マーク:まあ、僕はロンドンに住んでいて、それらの曲はぼくの人生についてだからね。ロンドンについて書くことにもなったわけさ。 エディ:あなたの場合、それはこのアルバムの曲だけにとどまらないわね。 マーク:地名の入った曲が好きだね。「ペニー・レイン」とか「ブルーベリー・ヒル」とか。ああいった曲が好きだし、僕の生活とロンドンは結びついていたわけだし。 ―どの曲もまだ成功を収める前に書かれたわけですが、当時のロンドンでの暮らしを思い返すと、良い思い出ですか? マーク:ああ、ファンタスティックだったよ。 ―若く、貧しく、成功をまだ手にしておらず……。 マーク:ああ、みじめだった(笑)。 エディ:たぶん私の方が成功していたわね。だって、私はバック・シンガーの仕事で稼げていたから。ユーリズミックス、ギャング・オブ・フォー、アリソン・モイエ、ウォーターボーイズなどの仕事をした。ロイとサイモンはどうしていたか覚えていないけど、マークは電話の……なんだっけ? コール・センター? そう、コール・センターで働いていなかった? マーク:そう、電話をかけてリサーチをする仕事だった。 エディ:信じられないわよね。この人があんなに凄い曲を幾つも書いていたのに、あんな苦しい生活をしていたなんてね。 私はエディット・ピアフにすごく入れ込んでいて、彼女のような「肉と骨のある」(中身のあるという意味)曲を歌いたかった。80年代には、もちろん素晴らしい音楽もあったけど、多くの曲が「ウー、アー、ベイビー」といった中身のほとんどないような曲だった。でも、マークの書いていた曲は物語の筋がちゃんとあって、中身がたっぷりあった。この間「ファインド・マイ・ラヴ」の歌詞をほとんど初めてのように、改めて読んでみたんだけど、主人公は部屋にひとり座っていて、まるで広い海のなかにひとりいるみたい。あの寂しさ、孤独感は明らかに当時のマークの本当の感情から生まれた。そうでしょ? マーク:ああ、そうだ。あれを書いた場所は、テラス(連続住宅)の一番奥にあった家で、(歌詞の最初の2行にあるように)風はびゅうびゅうとうなり、門はガシャンと音を立てて閉まり、野良猫が泣いていた。そこに僕は独りぼっちでいたんだ。 エディ:だから、本当に嘘偽りのない実体験から書かれている。そして私のような感情的にオープンで、その気持ちを自分のものにして、その物語を語ることができる人が必要だったの。