数千年前に行われたストーンヘンジの再建、科学者らが理由を解明
減りゆく住民を一つに
ブリテン島の住民は過去に何度も変化を遂げてきた。初期の農民たちの祖先に当たる人々は中東の出身で、約6000年前に農業の習慣を携えて島へやってきた。これらの人々は従来ブリテン島に住んでいた狩猟採集の共同体に取って代わり、紀元前4000年から同2500年にかけて人口の多数派を形成した。パーカーピアソン氏が明らかにした。 しかし紀元前2500年前後、今度は欧州からブリテン島に人々が渡ってくる。大半は現在のドイツやオランダからで、研究論文によるとこの時代にストーンヘンジが再建された。 研究者らは再建の過程について、「新たな民族の流入がもたらす正当な危機への対応」であり、新石器時代の農民人口を結束する試みだったとの見解を示す。 渡来した欧州人らはビーカー民と呼ばれる。特徴的な陶器を作成し、遺体と共に埋葬していたこれらの民族は、車輪や金属加工といった技術を持ち込んだ。 「16世代が400年以上かけて進む中、ほとんどの人々の祖先は土着民と渡来した民族との混血になったとみられる。ただその比率は渡来した民族が9割、土着の農民が1割だった」「ブリテン島の住民の遺伝子構成は500年間でほぼ完全に変化した」。パーカーピアソン氏はそう述べた。 最終的にビーカー民の子孫は新石器時代の農民らと入れ替わり、ブリテン島の人口で支配的な地位を占めた。従って突き詰めれば、ストーンヘンジはそれを建造した同じ共同体を結束させることはできなかったと論文著者らは指摘する。ストーンヘンジを構成する並外れた異郷の岩は、遠く隔てられた共同体が一つの複合素材の中で打ち立てた結束の表現を(象徴・)具体化するものに他ならなかった。それは人と土地、祖先と天界とを結びつけた。 「今回の研究結果は、非常に予想外で極めて印象に残る新たな光をストーンヘンジの歴史に投げ掛けた。この著名な遺跡に対してこれまでどれだけの研究がなされてきたかを踏まえれば、際立った成果だ」。レディング大学の考古学教授で欧州の先史時代を専攻するダンカン・ガロウ氏はそう語った。同氏は今回の新たな論文に関与していない。 現在、研究者らは取り組みを一段と強化して、スコットランド北東部における祭壇石の正確な起源を突き止めようとしている。新たな論文ならびに祭壇石に関連して今年発表された前回論文の共著者、リチャード・ベビンス氏が明らかにした。ベビンス氏は英アベリストウィス大学の地理学・地球科学学部の名誉教授。 「我々の地質学調査が考古学的研究に貢献できることに大変な満足を覚える。実態が明らかになり、我々の知見は過去数年で非常に向上した」「我々の研究は法医学のようなものだ。我々は小規模な(地球)科学者のチームで、各々が自分たちの専門知識を持ち寄る。この技術の組み合わせにより、ブルーストーンの起源を突き止めることが可能になった。次は祭壇石の番だ」。ベビンス氏はそう強調した。