数千年前に行われたストーンヘンジの再建、科学者らが理由を解明
謎に包まれた遺跡
ストーンヘンジの建造は紀元前3000年に始まり、複数の段階に分かれて進行した。現地一帯には5000~6000年前から人が居住していたと研究者らは述べている。 これまでの分析から分かるように、ストーンヘンジにはきめの細かい砂岩の一種であるブルーストーンと、サルセンと呼ばれるケイ化した砂岩が使用された。ブルーストーンは225キロ離れたウェールズ西部プレセリヒルズから運ばれた。遺跡に置かれた最初の石だったと考えられている。後から用いられたサルセン石の産地は、25キロほど離れたマールボロ郊外のウェストウッズだった。 研究者らは祭壇石について、再建する段階で馬蹄(ばてい)形に並べた巨石の中央に配置したとみている。正確な年代は不明だが、論文著者らは祭壇石が到着した年代を紀元前2500~同2020年と想定する。 研究によれば、ストーンヘンジの建造者らが巨大なサルセン石を立てて外円状に並べたのはこの再建時のことだった。複数のトリリトン(三石塔:二つの直立した石の上に水平の石が置かれた構造)で構成された内側の馬蹄形の石も、同じタイミングで並べられた。これらの構造は今日に至るまで、ストーンヘンジの一部として残っている。 祭壇石のブルーストーンは、ストーンヘンジ建造に使用された同種の石として最大。現在は最も大きなトリリトンの足下に横たわり、草に埋もれてほとんど見えない状態になっている。 ストーンヘンジや祭壇石を設置した正確な目的に関しては、今も多くの疑問が残されたままだ。ただ遺跡の並びは、夏至や冬至の日の太陽の位置と符合する形を取っている。 「有力な証拠の存在から、これらの巨石群には先祖伝来の重要な意味合いがあったことが示唆される。それは遺跡を建造した人々の祖先を表す、もしくは具現化さえするものだった」「ストーンヘンジ内の(祭壇石の)位置は重要だ。人々がストーンサークルの中央に立つと、冬至の日の太陽はその中間を通って沈んでいく」とパーカーピアソン氏は説明する。 冬の間、新石器時代の人々はストーンヘンジに近いダーリントンウォールズの村に集まった。パーカーピアソン氏によれば、豚や牛を持ち寄って宴会を催したという。ストーンヘンジはまた、同時代で最大の埋葬地でもあった。これは遺跡が神殿や太陽暦、古代の観測所などあらゆる目的で使用されたとする見方を補強する。 しかも、ストーンヘンジ付近に埋葬された新石器時代人の半数近くは、ソールズベリー平原以外の地域からやってきた人々だった。 新たな研究では、ストーンヘンジ再建の背景に政治的な急変があったとの見方を加える。 「使用された全ての石が遠隔地由来という事実から、ストーンヘンジは英国に900以上あるストーンサークルの中でも特別な位置を占める。恐らく建造には宗教的なものに加え、政治的な目的もあった。ブリテン島の住民を結束させる記念碑として打ち立て、自分たちの祖先や宇宙との永遠のつながりを祝福したのではないか」(パーカーピアソン氏)