数千年前に行われたストーンヘンジの再建、科学者らが理由を解明
遠く離れた共同体を橋渡し
巨石の長距離運搬という形で結束を誇示するのは、新石器時代の人々にとって簡単ではなかっただろう。論文の著者らは当時の船について、祭壇石のようなものを運んで沿岸水域を航行出来るほど強固ではなかっただろうと考えている。 「車輪は別の地域では発明されていたものの、ブリテン島にはまだほとんど到達していなかったので、巨大な石のブロックは木のそりで引っ張らなくてはならなかった公算が大きい。そりは木製のレールの上を滑らせる。レールは繰り返し持ち上げて敷き直していた可能性がある」とパーカーピアソン氏は述べた。 木製のそりには植物でできたショックアブソーバーが付けられ、石を守っていたかもしれない。石には長距離移動中、ひび割れなどが入る恐れがあっただろうと論文著者らは指摘する。 石を地上で移動するには数百人、ことによると数千人が必要になったとみられる。研究者らが論文で言及したところでは、移動には約8カ月かかった可能性もある。 論文によれば、地上の移動は壮観な見せ物や宴会、祝祭としての機会を大いに提供し、数千人を引きつけたとされる。人々はこの並外れた冒険的事業を目の当たりにし、そこに参加したという。 スコットランドからイングランド南部への巨石の移動は、遠く隔てられた二つの集団が一つのネットワークで結ばれていたことを示唆する。協働と協力を通じて育まれたそうしたネットワークの存在について、研究者らは両地域における著しい文化的共通性に起因するものとの認識を示す。 「ブリテン島全体で重要な連携が築かれた。人々は文字通り連動していた。電話も電子メールもない時代に、そうした取り組みを組織的に行っていた」(パーカーピアソン氏) 祭壇石の大きさや配置は、別の横向きの巨石と似通っている。これらの石はスコットランド北東部で見つかるストーンサークルの中にある。論文著者らはそう指摘する。石が横たわった形のこれらのストーンサークルが見つかるのはスコットランドのこの地域のみ。イングランドの他地域では見られないことから、祭壇石はスコットランド北部の共同体からの贈り物であり、ある種の同盟関係を表していた可能性がある。 「そればかりか、ストーンヘンジに近いダーリントンウォールズの一部家屋の見取り図を見れば、オークニー諸島最北部で見つかる建築と驚くほど似通っているのが分かる。ただ両地域の間に位置する地域ではそうした特徴はまず見られない」とパーカーピアソン氏。「また周知のように、人々が作る陶器の様式もブリテン島全体で共通していた。表面の溝が特徴的なその様式は当時の技術革新の一つで、スコットランドで発展した後、紀元前3000年から南へ広まっていった」