「化石か!」帳簿は手計算でIT化ゼロ カリスマ社長が65年君臨「イエスマン」の社風を変えた3代目 ~山櫻前編
◆このままでは会社に未来はない、印刷業界もやばい
――1997年に、祖父の邦一氏が亡くなられ、叔父さんが2代目として社長を継がれました。 祖父が亡くなり、叔父が社長になったんですね。 ただ、社員の感覚からいうと、正直あまり変わっていなかったと思います。 何となく、オーナーに逆らったら辞めさせられてしまうんじゃないかとか、異動させられてしまうんじゃないかとか。 実際にそういう噂もありましたし、人間って弱い生き物ですから「触らぬ神に祟り無し」という風土は変わりませんでした。 その考え方の改革が一番ですね。 今でも僕としては大変です。 ――社長になる前から、社風変革に取り組まれていた。 他の人は、なかなか難しいですよね。 言われたことをやってくれば良かった社風ですから。 同族企業にありがちな話だと思います。 私は、このままだったら会社の未来はないっていう気持ちで仕事してました。 IT化ともう一つ、やっぱり紙製品だけではまずいなと。 Macとか出てきて、今までは印刷機で名刺を作っていたのに、パソコンとプリンターで名刺を作る時代が来た。 印刷業界やばいなと。 それで、ある会社をM&Aしたんですけど。 まだ、祖父は存命で、喧嘩をしながらもお金を出してもらった。 祖父からするとM&A自体、あまり認識がないんですよ。 だから、そんな『空』なものに金出してどうすんだって怒られて、祖父とは2回ほどやり合ったんです。 祖父はケンカすると、目の色が変わるんですよ。 「お前は若造のくせに、屁理屈こねやがって」みたいに、グレーに変わるんですよ。目の色が(笑)。
◆新社長は41歳、年上役員に気を遣いつつ
――社長に就任したいきさつを教えてください。 41歳、入社して12年目ですね。 まだ若かったですが、会社の風土やデジタルの遅れも含め、このままだと本当にまずいなという状況でした。 叔父と父親に、もし僕に譲る前提があるならば、なるべく早くとお願いしました。 役員も早い方が良いという合意もありました。 ――他に兄弟やいとこがいる中、スムーズに決まったのでしょうか。 それは非常に簡単で、直系長男。直系の男1号だからですよね。 長女の長男ですから。 後から聞いた話では、祖父は自分がもうちょっと頑張って、直接孫に譲りたかったと言っていたそうです。 ――カリスマ創業者の作った風土が残る会社で、社長に就任する時、最も意識したこと、神経を使ったことは何でしょうか。 やはり、私が社長になった時、私の親の年代の役員ばかりでしたから、役員会も平均年齢70歳。 言葉を選びながら、父親の年齢のような役員を説得して会社を変えていくので、すごく神経を使ったし、体力を消耗しました。言葉もタイミングも選ぶ感じですね。 一方で、社長に物を申せないっていう伝統は変えないといけない。 直接私に何か言って反対する人は、そういない。 でも、私は社長に物を申してこれ違うって言ってくれる人を信じるようにしました。 ――組織風土を変えるために、具体的に心がけたことは何ですか。 一番は、会議で自分が喋るのをなるべくやめました。 最初のうちは私も体育会系で、怒ったりしていたんですけど。 でも、「これをやると元の木阿弥だ」と思い直して、胃がキリキリしながらも、聞く時間を増やしました。 社員が会議で発言しないのなら、本当に普段、自分の仕事のことを考えているのか疑問ですよね。 社長になって20年近く経ち、部長職は全員年下になりました。 だいぶ社内風土は変化したんじゃないでしょうか。
■プロフィール
株式会社山櫻 1931年に「市瀬商店」として、市瀬邦一氏が26歳で創業した。名刺やはがき、封筒などの紙製品の製造・販売を手がける。邦一氏は、1997年に91歳で亡くなるまで社長を務めた。その後、邦一氏の次女の夫が2代目社長となり、2004年から市瀬豊和氏が代表取締役社長。年商119億円(2023年2月期)、社員数は507人。本社は東京都中央区。