「化石か!」帳簿は手計算でIT化ゼロ カリスマ社長が65年君臨「イエスマン」の社風を変えた3代目 ~山櫻前編
◆銀行勤め、祖父が勝手に「辞めさせる」
――その後、山櫻に入られた経緯は 海外を知りたくて留学を目指していたのですがね。 祖父が、私の知らないうちに第一勧銀に来て、「そろそろ孫を辞めさせる」って言っちゃったんですよね。 銀行内で大騒ぎになりました。 また、第一勧銀にいた時に結婚を決めていたので、やめる前に、英語の勉強と社会勉強と新婚旅行等を兼ねて、夫婦でニューヨークに1年間行きました。 そして、29歳で山櫻に入りました。 まだ、祖父が80代で社長をしていましたね。 ――入社した頃の社風は、どうでしたか。 とにかく社長が怖いので、みんな社長にひれ伏すというか、触らぬ神に祟りなしというか。 社長に怒られないように仕事をする、ある意味真面目な社員が大半でした。 それ故に、チャレンジしづらい環境、組織でした。 ファミリー企業ってだいたいそうですが、創業者の社長に逆らって、社長の意見を変えてまでチャレンジするってなかなか難しいですね。
◆「化石か!」平成の世にIT化ゼロ
――社風以外に衝撃を受けた点がありましたか。 入社後、工場で半年研修した後、挨拶回りをしたり、営業をしたりして、山櫻の業務全体を学んだんです。 そこで、「この会社はまずいな」と思ったのは、もちろんワンマン社長のこともあるんですけど、もう一つIT化が全くされていなかったんです。 1990年代前半ですが、当たり前に経理や給与計算、在庫管理は、電子化されている時代でした。 でも、うちの会社はほぼゼロだったんですよ。 給与計算は、社員2人ぐらいが、部屋にこもって現金を集めて、それで配ったりしてたんです。 そういう時代です。商品も3千点ぐらいあるんですけど、在庫管理は全部帳簿ですから。 足し算引き算してね。 これを見たときは、本当に「化石か!」って。そこが一番ショックでした。 だから、営業時代から、社内全体のIT化を進めたのが一番の仕事でした。 会社全体のお金や商品の流れが全部理解できますから。その意味では、社長になるときに非常にためになったと思います。