小中学校は通わず高校は通信制、芸大に進み夢をかなえた作曲家「不登校の経験がずっと私を支えてくれた」
福岡県でこの秋、「短期移住」して地元の子どもや住民とふれ合いながら創作活動に取り組んだ作曲家の内田拓海さん(27)が、小中学校に通わなかった自身の不登校体験をつづった自伝的エッセー「不登校クエスト」(飛鳥新社)を出版した。一念発起して音楽を学び、曲作りからコンサートまで多彩な才能を開花させた内田さんは「孤独を抱える子どもたちの生きるヒントに」と願っている。(原聖悟) 【グラフ】小中学校の不登校児童生徒数の推移
コンクールで3位入賞
「地域の文化にふれ、素晴らしいインスピレーション(ひらめき)をもらえた」と振り返る内田さんは、東京芸術大の大学院に籍をおくフリーの作曲家で、昨年度の奏楽堂日本歌曲コンクール作曲部門では3位に入賞した。コンサートの企画運営や作曲指導と多方面で活躍していて、芸術家を招いて地域振興を図ろうという県などの企画に参加し、添田町と東峰村に10月から1か月ほど移り住んだ。
昼間は国の伝統的工芸品「小石原焼」の制作体験や修験道の霊場「英彦山」への登山のほか、炭鉱の歴史も学び、夜間は作曲する生活を送った。子どもたちとも一緒に歌いながら交流を深め、地域ごとに異なる気質や言葉に興味を抱いたという。来年3月には住民らの前で新曲を九州交響楽団が披露する予定で、「この土地の民謡や音を自分の作品の中に生きた形で取り入れたい」と意欲をみせる。
押しつけられるのが大の苦手
注目の若手作曲家だが、経歴は異色だ。神奈川県で生まれ育ったが、幼い頃から好き嫌いやこだわりが強く、他人に物事を押しつけられるのが大の苦手。保育園は途中で通うのをやめた。自宅を拠点に学ぶ「ホームスクーリング」の存在を知ると、両親に小中には行かないと宣言した。
自宅や個人塾で自ら学ぶ日々は自由で楽しかったが、「拓海君は大丈夫なのか」と心配する親戚の声を聞き、苦しい思いもした。「『これからどうなるのか』という不安はあったけれど、そういう言葉に反発して自分は頑張ることができた」と話す。まだ子どもだった自分の考えを尊重してくれた親の存在も大きかった。