「翼シュッポーン!」世界初の装備マシマシ超音速機、なぜ誕生? ハイスペで「イマイチ」評覆す
「新装備マシマシ」ゆえに苦しいスタートも
F-111Aは飛行試験において、搭載したTF-30ターボファンエンジンが高速飛行中に、急激な姿勢変更などによりエンジンに入る気流が乱れ、その結果、異常燃焼や出力低下を起こす現象、いわゆる「コンプレッサストール」が発生しやすいことが判明しました。 そのため、エンジンの改良と空気取り入れ口の設計変更を経て、F-111Dからはやっと当初の目標だったマッハ2.5の最大速度を達成しました。 こうして量産化されたF-111は、超音速機でありながら最大11.3tもの兵装を搭載することが可能でした。また、大きな強みとして、オートパイロットとの連動が可能な地形回避レーダーを搭載しており、自動操縦を使用して超低空高速飛行が可能なことなども挙げられます。 この能力に当時の戦略空軍(SAC)が目を付けます。 戦略空軍ではU-2撃墜事件を契機に、当時の主力戦略爆撃機B-52とB-58がソ連の防空網を突破することが難しくなっていました。就役して間もないB-58は早期退役が決定し、B-52の後継機として低空高速飛行を前提にしたAMSA(発達型有人爆撃機)構想がまとまります。 これは後のB-1爆撃機になる計画でしたが、B-1実用化までの繋ぎとしてF-111が採用されることになりました。戦略爆撃機型はFB-111Aとして就役し、核抑止力の一翼を担います。また、長大な航続力、優れた搭載量と低空飛行能力を活用して1979年からは40機が電子戦機に改造されEF-111Aへと姿を変えました。
「イマイチじゃね?」評価からの大逆転機だったF-111
そのようなF-111ですが、就役間もないころは、機体の評価が高くはありませんでした。 前述したテスト飛行中のエンジンの問題や、構造の強度不足や油圧系統の誤動作などの問題が判明し、これらの解決に手間取ったことに加え、型式名に戦闘機を示す”F”を冠しながら空戦能力がないことが理由です。 しかし、これらの問題を解決した後は、長い航続距離と優れた超低空高速飛行能力に加え、大きな搭載能力をいかんなく発揮するようになり、その実力が実戦で証明されるようになります。 F-111はベトナムではF-4戦闘機の4倍の爆弾を積んで、空中給油機の支援なしで北爆に投入され、4000回を超える出撃で作戦中の損失はわずか6機という記録を残しました。1986年のリビア爆撃の際にはイギリスに駐留していたアメリカ空軍のF-111Fが主力攻撃機として使用されました。この時は空中給油機の支援を受けながら往復1万kmを超える長距離作戦が実施されています。 また、湾岸戦争では、「砂漠の嵐」作戦に参加したF-111が米軍機の中では最も高いミッション成功率を達成しました。また同戦争中に投下されたレーザー誘導爆弾の実に80%がF-111により投下されたと発表されています。 湾岸戦争終結後のF-111は、可変翼特有の高い維持費が手伝ってアメリカ空軍からの退役が進められました。戦略空軍においてもB-1爆撃機の充足にともないFB-111は戦略爆撃機の任を解かれ戦術機と仕様が変更になり、その一部はオーストラリア空軍に売却されました。 なお、米軍においては最後まで使われた電子戦機EF-111が1998年に退役。冒頭のオーストラリア空軍では2010年まで使用され、現在では後任としてF/A-18F「スーパーホーネット」が引き継いでいます。
細谷泰正(航空評論家/元AOPA JAPAN理事)