「寝煙草の危険」「救出の距離」……スパニッシュ・ホラーの不穏な魅力は 翻訳家・宮﨑真紀さんに聞く
母と子の物語が浮き彫りにする、父の不在
――タイトルの“救出の距離”とは、アマンダが娘のニナを助けるために駆けつける距離のこと。母と子の関係が物語の大きなテーマになっています。 アマンダとニナは見えないへその緒のようなもので繋がっていて、不安が募るとその糸は短くなり、安心すると伸びる。そういうイメージが物語全体を覆っています。同じような切迫した感覚は、ダビの母親であるカルラも抱いている。都会から来たアマンダと田舎で暮らすカルラは反発しあっている面もありますが、わが子を案じる母親という立場において連帯しているんです。結局のところ、絆を断ち切ってしまうのは、家族に関心のない父親なんですね。 ――一連の事件には農薬などによる環境破壊の問題も、大きな影を落としています。ある意味では社会派ホラーとも呼べますね。 ええ。あとがきにも書きましたが、アルゼンチンは世界3位の大豆輸出国で、遺伝子組み替え大豆を大規模農場で栽培しています。その際に使われていたのがモンサント社が販売していたラウンドアップやグリホサートといった除草剤や農薬で、その影響で先天異常を持つ子どもが生まれたり、癌や甲状腺異常などの症状を訴える人が激増した。シュウェブリンは『モンサントの不自然な食べもの』というドキュメンタリー映画でこの事実を知り、いつか小説に書かなければと考えていたそうです。ちなみに映画といえば『救出の距離』も映画化されていて、Netflixで観ることができますが(邦題『悪夢は苛む』)、そこにもやはり除草剤や農薬で先天的な異常を負ってしまった子どもが登場しています。 ――国書刊行会での〈スパニッシュ・ホラー文芸〉プロジェクト、今後の展開は? エクアドル出身の若手女性作家、モニカ・オヘーダの『飛ぶものたち(仮)』を紹介する予定です。〈アンデス・ゴシック〉と評されている作品で、現代のルッキズムやフェミニズムなどの問題を幻想的に描いた異色の作品集。2025年にはお届けできるのではないでしょうか。今後もできればスパニッシュ・ホラーの紹介を続けていきたいと思っています。 ――期待しています。では最後にあらためて、宮﨑さんにとってスパニッシュ・ホラーの魅力とは何でしょうか。 間口が広く、多くの人に共感できるというところですね。スペイン語圏の女性たちが置かれているホラーな状況、日々の生活で感じている不安や恐怖は、日本で暮らしているわたしたちにも、共感できるものだと思うんです。もちろん宗教観や文化など異なる部分もありますからその違いを楽しみながら、女性作家たちの叫びに耳を傾けてみてください。 <宮﨑真紀(みやざき・まき)さんプロフィール> 翻訳家 東京外国語大学外国語学部スペイン語学科卒業。スペイン語圏文学、英米文学の翻訳に携わる。最近の訳書にエルビラ・ナバロ『兎の島』、マリアーナ・エンリケス『寝煙草の危険』(ともに国書刊行会)、ラウラ・フェルナンデス『ミセス・ポッターとクリスマスの町』(早川書房)、マネル・ロウレイロ『生贄の門』(新潮社)、ポー他『怖い家』(エクスナレッジ)など。〈スパニッシュ・ホラー文芸〉翻訳紹介の第一人者としても知られる。 (文:朝宮運河)
朝日新聞社(好書好日)