キャッチコピーが印象的だった1990年代の日本車3選
(2)日産「プレセア」(初代):「絶世のセダンです。」
日産自動車が90年に発売した「プレセア」は、デザイン的な特徴の多いクルマだった。日産「インフィニティQ45」(89年)を、思わせるグリルレスのフロントマスクが印象的だった。 もうひとつは4ドアハードトップボディ。全長4.4m程度の、どちらかといえばコンパクトサイズだけれど、スペシャリティ感が盛り込まれていたのが特徴だ。 さらに特徴があった。それは和風を打ち出した広告コンセプト。着物を着た桐島かれんを起用して、菱川師宣作になる「見返り美人図」をビジュアル的に再構成していた。 キャッチコピーは「絶世のセダンです。」。なんとなくわかるんだけど、よくわからないというのが本音。だって、絶世っていうのは、ユニーク、つまり唯一無二を意味する。当時の日産がほかにセダンを作っていなければ、意気込みやよし! と、したかったけれど、実際は上から下までセダンのオンパレードだった。 結局、作っている人がもっとも楽しんでいるんじゃないか? と、思わせるところがおもしろかった。クルマ自体についたコピーもあって、それは「全身センス」。 当時は”気恥ずかしい”なんて言われたものだけれど、クルマ自体は均整がとれていて、マーケティング担当者が狙ったほどの派手さは感じられなかった。でも、実は落ち着いたなかなかよいデザインだなぁ、と、今見て、そう感じられる。
(3)三菱「ディアマンテ」(初代):「あのクルマとは違う。ファースト・ミディアムカー宣言」
80年代から90年代にかけて、三菱はかなりイケイケだった。中興の祖ともいうべきモデルは、82年のパジェロ。そこからどんどんいきおいづいて、開発費も有効に投下。セダンも内容が充実していった。 代表的なモデルは87年の6代目「ギャラン」。パワフルなエンジンに、ABSをはじめ、全輪駆動システムや4輪操舵システムを組み合わせるなど、先進技術をアピールした。その流れのなか、90年に登場したのが「ディアマンテ」だ。 ギャランで評価された、足まわりの電子制御技術をさらに強化。三菱初の3ナンバー専用車ボディは、ピラードハードトップ(Bピラーを残して剛性も合わせて追求していたのが見識)とパーソナル感を演出していた。さらに3.0リッターV型6気筒エンジンが搭載され、大ヒットを記録したのだった。 このときの宣伝コピーが「あのクルマとは違う。ファースト・ミディアムカー宣言」。トヨタならクラウンや「マークⅡ」シリーズ、日産はセドリックや「グロリア」に「ローレル」、ホンダだと「レジェンド」に競合する立ち位置を明確にしていた。 冒頭で触れた「隣のクルマが……」という競合への優位性を打ち出すコンセプトだ。70年代までは、三菱車に乗るのは三菱グループの社員だけ、なんて揶揄されていたものだけれど、90年初頭、一とは、パジェロを買い、ミラージュを買い、ランサーエボリューションを買い、ディアマンテに代表されるセダンを買ったのだ。
文・小川フミオ 編集・稲垣邦康(GQ)