映画『ナミビアの砂漠』山中瑶子監督にロングインタビュー
──監督は即興的な映画づくりを心がけている印象ですが、なのになぜあんなに計算し尽くされたような作品が出来上がるのか、とても不思議です。 いや、本当になんでなんですかね。全然わかんない。撮影もギュッと短かったぶん、だいぶあの時期、みんなの集中力はかなり高かったから。事前の準備も安心のためにしっかりやりますが、それよりも当日のことを信じた方がいいって私は思うし、集中している時の選択のほうが正しいはずなので。当初の予定からどんなに変わっても、それをふまえて次のシーンもまた変えるし、一応成立するように気を遣ってもいて。でも、偶然性や集合的無意識の助けとかは大いにあると思います。映画史の引用とかも、全然観たことないものを言及されたりもしますし。 ──たとえばカナと隣人が「キャンプだホイ」を歌いながらはしゃぐ幻想的なシーンの次に、カメラが部屋の中を360度旋回するショットをつないだのは、脚本段階で考えていたことですか? いや、現場ですね。撮っていくうちに見えてきたことです。だから脚本だけ読むと、“こことここ、どうつながるの?”みたいな感じです。でもみんな結構“なるようになるさ”というスタンスで、肩の力が抜けていたので。だからいい発想が土壇場でも出るのかもしれないです。 ──編集については、脚本の流れに沿っているんでしょうか? 基本的には。最初、尺が170分ぐらいになっちゃったので、いくつか泣く泣く落としたシーンもありました。ちょっと説明過多でもあったから、今の尺でもだいぶスリムになった感じです。当初はもっと混沌としていたかな。でも、本当に編集の力ってものすごいですよね。2コマ削っただけで印象がガラッと変わったりするから。編集中はそういうのを日々試せるだけ試します。限られた時間の中で、どれだけ形を変えて完成に近づけるか。うまくいってないところは大きく変えるというより、どのカット同士をぶつけるかっていう相性もあって。いろいろ入れ替えて試すうち、 ぼんやりしてた状態を突破して、作品が立ち上がる瞬間がくる。それがやっぱり楽しいですね。 ──カンヌで取材した際に、「これまであった自分の中だけのこだわりを手放したからか、過去作より楽しい撮影現場だった」と話していたのが記憶に残っています。今、どんな現場の在り方を理想だと考えていますか? 『あみこ』(17)を作っていた頃は、キューブリックや相米慎二みたいに、何十回何百回と同じことをやらせるのが映画監督、というある種のマッチョさを、自分には到底無理だと知りながら、どこかで“それだけのことをしないといい映画にはならないのではないか?”と思っていました。実際、彼らの映画が好きなので。でも、コロナ禍で映画界の性加害問題や労働環境について考えていくうちに、それらはただの時代性というか、シンプルに今はそういう時代ではないと思えた。いろんな人が映画監督をやっていいし、いろんな現場があっていい。そして、誰かを踏みつけてまでいい映画にしたいとはまったく思わないです。 ──制作現場の環境と、完成する作品の出来。両者の相関関係については、どう考えたらいいか悩ましい時もあります。 先ほども言ったように、相米やキューブリックでとてつもなく好きな作品があります。完璧にコントロールされた上でいい出来だと思う。でも今同じことをやって、同じようにいい映画ができるとは思いません。なぜならもうそのやり方の信奉者は少ないはずだから。当時も嫌な人は絶対にいただろうし。毎晩ちゃんと安心して眠れるような撮影現場であるべき。他人を踏み躙るほどコントロールすることは人権侵害です。ベルトルッチの『ラストタンゴ・イン・パリ』(72)なんかもう二度と観たくなくなってしまったけれど、でも『シェルタリング・スカイ』(90)は大好きな作品だったりします。かつて、支配的・暴力的な演出をした監督でもいい映画が作れたということは事実として知っているべきだとも思います。 ──日本の若い女性監督というと少し前までは特に、ある種のガーリーな世界観を作品に求められるケースも少なくなかったように思います。そういうレッテルのようなものとはどう付き合ったり、対処してきましたか? 今は自分含め周囲の“若い女性監督”も、それぞれのベクトルがあるような気がしています。以前『21世紀の女の子』(19)の上映後のティーチインで、「みなさんは男性を主役に映画を撮る気はないんですか?」と質問を受けたことがあって、「いつか撮りたいと思ったら撮るんじゃないですか?」というようなことを答えましたけど、どういう意図だったのかなとはたまに考えます。若い女性監督が若い女ばかり撮っていると何か不安なことがあるんですかね。 ──今回、デビュー作『あみこ』を再見しました。その主人公あみこにも、カナにも、ある種の高潔さや気高さを感じます。惹かれる人物像に何か共通点はありますか? 気高さ、それはたしかに!もっと言えばその人なりの気高さが見える人が好きっていうか。……星とか太陽より、私は月みたいな人に惹かれます。 ──月みたいな人、ですか。その心は? えーわからない!雲が通って見えたり見えなかったりするのがいいですよね。いつでも燦々と輝いて明るい人は、そんなに好きじゃないっていうか(笑)。あんまり興味がないし、そこには別に惹かれない。なんかめっちゃざっくりな話でごめんなさい。でも星、太陽、月だったら、月が一番気高い感じがしません? ──そうかもしれませんね。あとカンヌで取材した時に、『ナミビアの砂漠』というタイトルについて、「よく知らないところの方が、優しくなれたり素の自分でいられたりすることもある」と話してくれました。物事について考える上で、“距離感”みたいなものは大事ですか? そうですね、私自身よく主語が大きくなったり、主観で話したり考えたりしてしまいがちなので、主観と客観を混ぜないようには気をつけています。自分の思っていることと、世間一般の価値観の乖離が大きいことにショックを受けたりもしますが、そもそも世間一般の考えを正確にはかるのも難しいので、あらゆる視点から考えるようにしたいです。でもそうしていくうちに、「難しいね……」で話が終わってしまったりして、これはいかんと思っています。 ──最後に、首に入ったタトゥーが素敵ですが、なんのデザインなんですか? 大好きな彫刻家、ジャコメッティの作品をデフォルメしました。あの、なんで彼の作る人体像があんなに細いのか知ってますか? ──いえ、知らないです!気になります。 遠くに立つ恋人の姿を目にして、その印象を彼なりに正確に作品にしようとしたところからだそうです。でもそのうち、像を小さく作りすぎてどこまでも縮んでいきそうになり、高さだけはある程度保つようにしたことで細くなったとか。 “もしかして恋人が好きすぎて、距離が近いと緊張するので、遠くから薄目で見たのかな?”とか、想像がふくらんで。細いのに無骨で、唯一無二でかっこいいです。