映画『ナミビアの砂漠』山中瑶子監督にロングインタビュー
──ちなみに、ハヤシに金子さん、ホンダに寛一郎さんをキャスティングした理由は?なんとなく逆のパターンも考えられるかなと感じたんです。 それはよく言われるので、確かにそうかもとも思ったんですが。神経質と几帳面って、似て非なるものだと思うんです。ハヤシに几帳面さはいらなくて、神経質さがいる。ホンダはその反対です。直感的な話なんですが、それをふまえると逆のキャスティングはないなって。 ──私、ホンダについてお気に入りのくだりがあって。出勤前に香水をつける時、宙にシュッシュッとスプレーして、その下をくぐるところなんです。 あれ最高ですよね。脚本には単に「香水を振る」としか書いてなくて。撮る前に「みんなはどうやってつけてる?」ってその場にいたスタッフに聞いたら、助監督のファッション好きな男の子が「正しいのはこれです」ってやってみせてくれたんです。それがなんか滑稽で面白くて、寛一郎さんにはそれを参考に演じてもらいました。あれで、ホンダの人となりも見えるし、なんか儀式のようで、彼なりに何かをやり過ごそうとしているんだなとも感じてグッときます。 ──この映画には“カナと誰か”という1対1の関係性のバリエーションを、さまざまなカップリングやシチュエーションで描くという図式があるような気がします。そうしようと思ったのはなぜ? テーマを決めてから脚本を書いたりはしないので、いろんなテーマが見えてくるのは書き終わってからだったりするんです。この映画には、もともとカナには人の言葉が全く響かなかったのが、次第に響いてくるようになるっていうストーリーラインがあるなと思って。多分、書いてる途中でそうなったのかな。まだカナのマンションの隣人(唐田えりか)も出てきていない段階で、“この映画はどうやって終わるんだろう?”と思った時に、カナがだんだん人の話を聞けるようになってきているのが見えた。そんなふうに、最初はとりあえず無意識に任せて書いてから、後で何をやりたかったのか、自分で答え合わせをするような書き方をしています。 ──そこに推敲も入る? 常に書いては推敲し、の繰り返しです。あと、穴だらけだったりするので。“ここは決まってるけど、ここはまだ空白のまま”みたいな。最初から順序立てて書いているわけでもなく、その都度読み直すうち、徐々にテーマが見えてくる。カナは人の話を聞けないし、話す言葉もなんか相手のオウム返しで、あんまり自分が言いたいことを言えていない。言語になってない感情も多い。けれど最終的には、誰かの言葉が響くようになるといいなって。人って同じ言葉を使っていても、受け取る意味が違ったりするじゃないですか。そもそも同じ言語だろうと“会話って難しいな”という気持ちがあるから、最後は外国語を不意に浴びる体験を通して、逆にそのわからなさに解放されるというアイデアを思いついたりして。 ──1対1で対面した二人のカットバック(※二つ以上のカットを交互につなぐこと)が、劇中にはよく登場します。それらを追っていくだけでもカナの変化がわかり、最後のカナとハヤシのカットバックでは、一つの到達点に至るというか。それも含め、カメラマンの米倉伸さんと話したことを教えてもらえますか? はい。まさにそういうことを話しました。「最後の二人のカットバックで、やっとカナが相手とフェアな地平に立てるんじゃないかという、希望みたいなものを映せるといいね」って。そこまではずっとこう、なんというか、上下関係とか、権力の奪い合いとか、マウンティングの連続なんだけど……。 ──たとえばホンダが、出張中の行動についてカナに平謝りするシーンもカットバックですが、すでに気持ちが冷めているカナはソファの上で、ホンダは床にいる。上下関係が明らかなんですよね。 そうそう。そういうことばっかりしてたカナが、「初めてちゃんと人をまっすぐに見つめることができるといいよね」ということを、ラストのカットバックに向けて考えていました。