なぜ「品川34」ナンバーの「マクラーレン F1」がイタリアで話題に? 世界最古の自動車コンクール「コンコルソ・ヴィラ・デステ」の知られざる世界。
「自走による最遠来賞」も
審査員によるベスト・オブ・ショーには、1932年「アルファ・ロメオ8C2300」が選ばれた。オーナーは海軍士官学校生だった21歳のとき手に入れたものの、直後に第二次世界大戦でアジア方面に赴任したため車両はガレージに仕舞われた。戦後も一部の機会を除いて整備されることはなく、約77年間その存在が知られることはなかった。そうした数奇な車歴に加え、戦前車としてはオリジナル状態が高度に保たれた数少ない例であることが注目された。 対して、招待客の投票による賞「コッパ・ドーロ」は、常連たちの驚きを呼んだ。1995年「マクラーレンF1」ロードカーが選ばれたのだ。今も品川ナンバーが付いているこの車両の初代オーナーは日本の男性専門クリニック経営者で、黒とグレーのツートーンカラーは、所有していたメルセデス・ベンツSLの車体色に合わせて同氏がオーダーしたものだった。 マクラーレンの熱心な愛好家だった氏は、さらなるリクエストを同社に送る。1995年ル・マン24時間レースにおけるマクラーレン製「F1 GTR」ワークスマシン1台のスポンサーとなる代わりに、そのマシンを自身のF1ロードカーと同じ黒&グレー塗装するよう要求したのだ。加えて、レーシングドライバーの関谷正徳氏にシートを確保することを要望。最終的に、このワークスカーは優勝し、関谷氏は日本人初のル・マンウィナーとなった。 従来コッパ・ドーロといえば、戦前か終戦直後の一品製作車級モデルが選ばれることが多かった。今振り返れば、2022年にアストン・マーティンの1979年のコンセプトカー「ブルドッグ」が受賞したあたりから、招待者たちの選択に変化の兆しが現れ始めたのかもしれない。 いっぽう、2023年に創設され、世界的テノール歌手ヨナス・カウフマンが選者を務める「モトーレの歌声トロフィー:ベストエンジン・サウンド賞」には、1976年「ランボルギーニ・カウンタックLP400」が選ばれた。こちらの初代オーナーはサウジの王女で、19歳の誕生日に夫から贈られたものだったという。 大半の参加車は高価なことからキャリアカーで輸送されてくるが、稀に走って来場するエントラントもいる。そうしたオーナーの勇気を讃えるため、「自走による最遠来賞」も設けられている。今回こちらはドイツ・バイエルンから約360キロメートルを走ってきたルーフ・オートモビルの「CTRイエローバード」に捧げられた。製作者兼オーナーのアロイス・ルーフ氏と令嬢アロイーザさんの喜びは動画でご覧いただきたい。 こうした評価の多様性が、歴史あるイベント、ヴィラ・デステを常に新鮮にしている理由なのである。 在イタリア ジャーナリスト/コラムニスト/自動車史家 大矢アキオ ロレンツォ/Akio Lorenzo OYA 音大でヴァイオリンを専攻、日本の大学院で比較芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)、『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)など著書・訳書多数。シエナ在住。NHKラジオ深夜便ではリポーターとしても活躍中。イタリア自動車歴史協会会員。
文と写真= 大矢アキオ ロレンツォ(Akio Lorenzo OYA) 写真= 大矢麻里(Mari OYA)
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