近藤を袖にした芸妓 今も昔もベールに包まれた政治の社交場・祇園 誠の足跡 新選組を行く
「バブルが少し陰ったころ。祇園についての知識はほぼありませんでした」
北新地時代の客も通ってくれ、初めて連れて行かれたお茶屋での経験が転機となった。常連客らの支援もあり、京都五花街の芸舞妓を仲介するお茶屋バーを開店した。代々という店が占める花街で新規参入は異色の存在だった。「ホームページを開設しましたが、当時は値段はおろか芸舞妓の顔も出せませんでした」
順調に商売は繁盛し、東京・銀座にも進出した。毎週月、水、金曜に芸舞妓を連れて日帰りで上京。1時間半の入れ替え制で1人1万円という破格の値段でお茶屋の雰囲気が味わえるとあって、40人ほど入る店内は大盛況となった。
平成7年の阪神大震災を機に祇園の1店舗を残し、他の7店舗は閉店した。それから間もなく30年。「まだ若くて何も知らなかったからできたし、そういう時代でした」。新型コロナウイルス禍を経て、にぎわいを取り戻し始めた街を静かに見つめている。(池田祥子、写真も)