無名のチームを「ニューイヤー駅伝」出場に次々導いた〝凄腕〟監督の激レア人生 選手実績ゼロ、派遣社員、給与未払い、リストラ…
大学時代の経験も生きた。「スカウトでよく東北に来ていたので、山形の先生たちが僕のことを知っていてくれた」。いたるところでサポートを受けたという。 ▽地元が大水害、練習自粛したのに予選突破 迎えた2013年の予選。前年より6分近くタイムを縮め、ニューイヤー駅伝出場を決めた。本番は37チーム中36位だったものの、完走。「限られた予算や環境でもやれると証明できて、うれしかった」 14年も連続出場を狙ったが、自然災害に襲われた。7月、大雨で地元の吉野川が氾濫。市役所の職員が被災者を横目に練習なんてできない。夏場のトレーニングを自粛したが、チームの結束は逆に高まった。予選をなんとか突破し、本番で34位と順位を上げた。 「まとまりもあり、走力も底上げできていた。ずっと大会に出られるチームになる兆しはあった」。しかし、今度は陸上部の規模縮小が決まってしまう。 「この年の7月に市長選があって、争点の一つに陸上部がありました。大金を使っているとか、市の交付金を使っているとか、根も葉もない噂を立てられて怪文書も届いたんですよ」
現職は落選。「南陽市役所でやるから価値があると思っていた。本当はそのままやりたかった」 ▽成績不振で監督クビ、恩師も絶句 この時は市長の紹介で新天地が見つかった。同じ南陽市の企業「NDソフト」が陸上部を創設したのだ。監督になり、就任2年目の2016年には予選を突破。NDソフトはニューイヤー駅伝に初出場し、37チーム中33位で完走した。 ただ、翌年から予選敗退が続き、「チームの中にも軋轢が生まれていった」。2019年、成績不振を理由に解任。この時が人生で一番のピンチだったという。 解任を言い渡された日は恩師・上田さんの還暦パーティの前日。すぐ電話で報告すると、上田さんはしばらく絶句した後、こう言った。 「明日、山梨学院のグラウンドに来い」 翌日、上田さんから山梨学院大学のコーチを打診された。新監督に就任する飯島理彰さんが「コーチで呼びたい」と言ってくれたのだという。高嶋さんは感謝した。「陸上界で生きる道をつないでいただいた」