仕事はつらくて当たり前?仕事の言葉に隠された当たり前という呪いを考える
仕事はつらくて当たり前?
まとめましょう。 「仕事はつらくて当たり前だよ」「若い時は少々つらいことがあっても乗り越えなくちゃいけないんだよ」。こういった、たまに耳にすることがあったり、ときに独り言のようにつぶやくかもしれないこの言葉が、希望の言葉にも呪いの言葉にもなりえます。 自分自身や周りの働く人たちが、今取り組んでいる仕事を「使命」と考えているのか、「労役」と考えているのか、そのズレによって、同じ「仕事はつらくて当たり前」という言葉の受け取り方が大きく変わってくるのです。 「この仕事をうまく乗り切れないのは自分の能力が低いからなんだ。仕事はつらくて当たり前なんだ」 そうやって自分で自分を追い込んでいく前にやるべきことは、仕事を労役としてしかとらえられない状態を抜け出すために、自分自身の、仕事への意識のほうに目を向けることではないでしょうか。 あなたの仕事はあなたにとって希望のある使命や天職のようなものですか? それとも単にお金を稼ぐための労役ですか? どちらであっても仕事ですから楽しいことばかりではないでしょう。ですが、その楽しくない仕事を耐え抜いてでもあなたがこれからも続けるべきなのかどうか、それを考え直す余地はあるはずです。 そう、大事なのは、「仕事は少々つらいのが当たり前」も「仕事はお金をもらうための労役なんだ」と決めつけて、そこで考えるのをやめてしまわないことです。自分に「当たり前」を押し付けることではなく、むしろ自分のなかにある「当たり前」を疑ってみましょう。暑さが少し落ち着いてきた、秋の夜長に、ご自身の周りにある「仕事」の当たり前について一人、あるいはだれかとちょっと考えてみませんか? ---------- ■小川 泰治 宇部工業高等専門学校一般科(文系)講師。NPO法人こども哲学・おとな哲学アーダコーダ理事。専門は哲学・倫理学。特に、「哲学対話」「子どもの哲学」と呼ばれる実践を、学校の教室や地域で重ねている。分担執筆に『こころのナゾとき 小学1・2年/ 小学3・4年/ 小学5・6年』(成美堂出版、2016年)など。子どもの哲学についての論文に『「子どもの哲学」における対等な尊重』(『フィロソフィア』、2017年)、『「子どもの哲学」における知的安全性と真理の探究 ― 何を言ってもよい場はいかにして可能か』(『現代生命哲学研究』、2017年)がある。