仕事はつらくて当たり前?仕事の言葉に隠された当たり前という呪いを考える
働くことは大切なことです。生きがいという人もいれば収入を得るために当然のことと思っている人もいるでしょう。 しかし働きたくない、仕事をすることがつらいという人もいます。その仕事ができるのか、向いているのか、適正を問われることもあります。男女で働く人の割合が異なる職種もたくさんあります。 一体、わたしたちはなぜ「働く」のでしょうか。「仕事」とは何なのか。ひょっとしたらあなた自身、「働く」という言葉の中に知らず知らずに何かの意味を見出し、縛られてはいませんか── 。 この連載は、そうした「働く」ことに対し無意識に持っている「当たり前」や「呪い」をテーマに、「哲学対話」が専門の小川泰治さん(宇部工業高等専門学校講師)が執筆していきます。
筆者より「はじめに」
本連載では、呪いとなってのしかかってくることもある、“働く”をめぐる「当たり前」を取り上げて、筆者が専門とする「哲学対話」の経験や、クリティカル・シンキングの考え方などを手がかりに、考えていきます。 筆者自身も教育・研究機関で働きだしたばかりの身ですが、自分自身にも早々に様々な「呪い」がかかっていることに愕然とする毎日です。そんな自身の経験や感覚も大事にしながら、みなさんと仕事について考える機会にしたいと思っています。
つらくないのは仕事じゃない?
「仕事」とSNSで検索すると、すぐにそれに続く予測ワードとして「辞めたい」「つらい」「行きたくない」「休んだ」といった言葉が目につきます。多くの人にとって現在、人生の大部分は「働く」ことに費やされています。それなのにその仕事についてネガティブなワードが並んでしまうのはなんとも哀しいことではないでしょうか。 さきほどの予測ワードで検索に引っかかるアカウントを見てみると、仕事の辛さを深刻に悩むものの悲痛な叫びがただでさえ哀しいのに、合間合間に「仕事辞めたい人連絡ください!」「安定して稼げるいい話あります。連絡ください」のようないわゆる「釣り」を狙ったアカウントもあり、さながら地獄絵図の様相を呈しています。 ですが、こういう仕事をめぐる地獄を指摘してみても、どこかから「仕事なんてそもそも少々つらいものだ、それくらい我慢しろ!」「つらくないのは仕事じゃないよ。そういうものなんだからつらい思いはしなくちゃ駄目だよ」というお叱りが飛んできそうでもあるのがまたつらいです。 さらに、そういう声は立場が上で、声が大きくて、仕事も確かにできる身近な人の声で再生されたりするので、一層タチがわるいです。「あなたにそう言われちゃあ、頑張れない自分が悪い」という気持ちにさせられてしまいそうです。 ですが、仕事は少々つらくて当たり前、つらくないのは仕事じゃない、これって本当でしょうか。それっていつでも、だれにでも当てはまるでしょうか。