ホロコーストの犠牲になった少女アンネ・フランクの短い人生と「その後」
『アンネの日記』に書かれていること
アンネは隠れ家に移った後もずっと日記をつけ続けました。 最初は「自分のため」だけに書いていましたが、1944年3月末頃、アンネはラジオでイギリスに亡命中のオランダ教育大臣のある「呼びかけ」を耳にします。それは戦時下で綴られた日記や手紙を集めて公開するので、保存しておくようにという内容でした。 作家またはジャーナリスト志望だった彼女はこの呼びかけを受け、自分の日記を「後ろの家」というタイトルでまとめることにしました。公開されることを意識して内容を推敲し、登場人物の何人かについてはプライバシーを考え名前を変える等、自分なりに手を加えています。アンネは日記帳だけでなく、ルーズリーフにも大量の文章を残しました。 アンネはこの日記を「キティ」という空想の友人への手紙の形で書いていました。 内容は多岐に及び、隠れ家での苦しい生活やいわゆる少女らしい純粋な部分についてだけ書かれていたわけではありません。母親に対する反発や衝突、同室のプフェファー(日記での記載名はアルベルト・デュッセル)やファン・ペルス夫妻(ファン・ダーン夫妻)との軋轢など、狭い空間での濃密な人間関係と、嫌悪感を赤裸々に吐露しています。 そして13歳から15歳となる思春期の心の揺れ、体の変化や性の目覚め、夢や希望についても正直かつ豊かな表現で書いています。
生理、そして性のめざめ
アンネは“隠れ家”で初潮を迎えました。両親から子ども扱いをされていることに不満をいだいていたアンネは「早く大人になりたい」と思い、生理が来るのを心待ちにし、何度もそのことについて記述しています。 1942年10月3日(土) 「ああ、生理が来るのが待ち遠しい― 生理が来れば大人になれるんですもの!」 1944年1月6日(木) 「私に起きていることはとても素晴らしいことだと思うし、それは体の外側で起きている変化だけでなく、内側で起きている変化も含めてなの。(中略)生理が来るたびに(まだ3回しか来ていないけど)、痛みや不快感や混乱にもかかわらず、私は甘い秘密を抱えているような気がするの。面倒なことではあるけれど、その秘密を自分の中に感じるときを、いつも心待ちにしているわ」 ただ「大人になりたい」と焦るだけではなく、体の変化と心の変化を客観的に見つめ“甘い秘密”という詩的な表現をしたアンネ。こうした表現1つ1つが、この日記をより魅力的にしています。 同じ日(1944年1月6日)、アンネは「性への興味」についてもキティにだけ打ち明けています。 「美術史の本に載っているヴィーナスのような女性のヌードを見るたびに、私は恍惚としてしまうの。あまりの美しさに涙をこらえるのに苦労することもあるほど。ああ、私に恋人がいれば!」