「日本は年齢に対する偏見が強すぎる」46歳で司法試験合格を目指し7年の死闘の末に得た教訓
満されなさこそ、人生のモチベーション
祝福、再会、新しい出会い――。 合格直後から、パタンパタンパタンと日々新しい扉が開いていった。受験生のときのように自分から押さなくても、勝手に扉は開いていく。 それなのに、どうしても「終わった」のが信じられない。司法修習の申込み手続きよりも、つい答練の情報に目が向いてしまう。受験生後遺症は長らく続き、大量の演習教材を来年の受験生にあげたころになってようやく、現実感が非現実感を上回るようになった。 合格発表からすでに1カ月余りが経っていた。 46歳からの挑戦で失ったものもあったかもしれないが、得たものはより大きかった。法的知識のみならず、難解に思えた法制度や専門用語に接するのが平気になった、説得的に自分の主張を伝えられるようになった、何をするにも処理時間が速くなった、最後まで諦めなくなった……など、あげるときりがない。論文式試験は、最後のたった10秒間で「書ける」か否かで結果が変わりうる。すると時計を見ても、「あと10秒もあるんだ!」と10秒がありがたく感じられるのだ。 これからも、1秒1秒を大切にする感覚は忘れないようにしたい。人生、生きているだけで儲けもの、なのである。 私は悟りを開いた気分にも陥った。司法試験直前や本番の過酷さのみならず、4カ月間もの合格発表待ち……。自分にとっては生死を分けるほどの闘いが長く続いた。すると、なぜなのだろう。当初のモチベーション――、自分が抱えている相続紛争や確執、見下された数々の体験は問題としては存在するものの、私の心を蝕み、私を覆いつくしてしまうものではなくなっていた。前へ進むエネルギーに転換されたのか、私の中に吸収されていたのだ。 もう、何かに追いかけられている気はしない。人の幸せをより素直に願えるし、人のために活動していく気持ちも自然と湧いてくる。満たされなさこそが、私の原動力だった。幸せでないことは不幸ではなくて、幸せに変えられる未来があるということだ。 とにかく日本では、年齢ごとに「こう生きるべき」があらかじめ決められてしまっている。新しいことに挑戦しようとすると、お節介な人々がやたらと否定的意見を述べたがる。自分の人生に何の責任も持たない人たちのレッテル張りなど、全部流していい。「無理」と言っている人にとって無理なだけなのだ。 人生は後半からが本番。人生前半が思い通りにいかなかった人、社会で認められにくい人ほど、この傾向にある。そして、マイナスをプラスに変えることにこそ、人生の醍醐味がある。 司法試験への挑戦は、それ自体が、私の生きる欲望を満たすものだったのかもしれない。これからも困難な壁にぶつかったら、まずは生きて向き合えることのありがたさを噛み締めたい。そして、我が人生の最後の最後まで、「あと10秒もある!」という前向きな気持ちで生きていきたい。
平井 美帆(ノンフィクション作家)