「不祥事多発」や「ルッキズムで時代錯誤」と批判も…それでも大学の学祭から「ミスキャンパス」がなくならない理由
今年のミス東大ファイナリスト・舩澤帆津美は先月、「わたしが6年前から憧れて、憧れて、憧れ続けて、やっとの思いで出たミス東大を、課金ゲーに堕としてたまるかよ」とXにポストしており、その現状に憤っている様子がうかがえる。 大学の文化祭という特殊な空間の中で行われてきたミスキャンパスコンテストがオンライン化したことは、その特殊性が失われる決定的な要因になったとも言える。 ■セミプロ市場に、ミスキャンが“溶けた”
ミスキャンパスコンテストとは、先にも述べたように“女子大生という素人からプロになりうる人を発掘する試み”である。あくまで素人であり、プロではない彼女たちというグラデーション、その“あいだ”を楽しむものであった。 かつては、そもそもそんな領域にいる女子大生の絶対数自体が少なかったので、彼女たちが人目に触れるというだけで特殊性があった。 だが、SNSや動画配信アプリの発達により、そのような“かわいい素人”は簡単に見つかるようになった。今や“セミプロ女子大生”は広告研究会が発掘しなくても、ネット上に多く存在する。ミスキャンパスコンテストとはまったく別の領域で、それはそれでビジネスとして成立するほどに、大きなマーケットとなっている。
そんなネット上でのセミプロ市場に、ミスキャンパスコンテストが“溶けた”と言っていいだろう。 大学生への訴求を目的に、インフルエンサーとしてミスキャンパスを起用していた企業も、実際にはフォロワー数の割に影響力がないことに気づいたのか、往時に比べて大手企業のスポンサードの数は減っていっている。 このような流れの中で、徐々にミスキャンパスコンテストは勢いを失っていった。しかし、それでも今年も多くの大学で開催されている。
その理由は何なのだろうか。 元も子もない話になってしまうが、基本的にはミスキャンパスコンテストが大人のビジネスではなく、あくまでも大学生の文化祭として行われているということが大きいだろう。つまり、仮に利益が出なくても成立はする。 スポンサーが多く集まっていた時期には、たとえばミス青山コンテストを主催する団体が、取材などの企業宣伝を伴わないファイナリストの稼働に関しても高額な費用を請求するなど、利益に走った時期もあった。