「不祥事多発」や「ルッキズムで時代錯誤」と批判も…それでも大学の学祭から「ミスキャンパス」がなくならない理由
もちろん「ルックスで学生の優劣を決めてはいけない」という主張は正しくはあるのだが、その“正しさ”は盛り上がらなかった。この2大学に続く大学はなく、前述したように今も多くの大学でミスキャンパスコンテストは行われているのが現実だ。 ミス慶応コンテストに関しては、別の新たな団体が主催して復活し、一時期は2つのミス慶応コンテストが存在する時期もあった。長らくミスキャンパスコンテストが行われていなかった京都大学でも、今年、開催しようとする学生の動きがあったほどだ。
結果的に、“正しさ”よりも、それでも美女が選ばれる姿をみたいという“本音”のほうが、優勢を保っているのが現実だ。 ■かつての「シンデレラストーリー」 しかし、その現実――ミスキャンパスコンテストの盛り上がり自体も、ひとつの大きな曲がり角を迎えている。簡単に説明すると、盛り上がりの大きな要因となったネット社会との融合が、ここにきて逆に首を絞め始めたというのがその理由だが、もう少し詳しく説明することにしよう。
そもそもミスキャンパスコンテストとは“女子大生という素人からプロになりうる人を発掘する試み”である。 芸能事務所の目も届かず、いち大学の中で埋もれるかもしれなかった素人の美女を、広告研究会という現役の学生が発掘する。コンテストに出場することで、メディアに登場する機会を得て、タレント活動をしたり、女子アナになったりするものも出てくるようになる。 ネットのない時代は、この流れがシンデレラストーリーとして今よりも強く機能したはずだ。その物語を追って楽しむ層も出てくるようになる。
2000年代半ばには候補者に選ばれた時点でブログを開設する流れができはじめ、2010年代半ばにはSNSを開設する流れが主流となった。そうすると、盛り上がりは学内だけではなく、ネット上にも広がっていく。 その流れが一番うまくまわっていたのが、2010年代の半ばで、2015年のミス青山学院コンテストでは、ファイナリストとして出場を表明した山賀琴子に、すぐに数万人のフォロワーがつくという事象が見られた。