環境問題の思わぬ副作用! 工業地帯で「校歌」の作り直しが続出した「深刻な事情」
フレアスタックの立ち並ぶ風景
その新たな校歌の第2節には 潮の香はるか 遠くなりても/燃えるよ 君と僕 あなたと私/フレアスタックよ 太陽のような/あの逞しい 情熱を という歌詞がつけられています。 「フレアスタック」というのは、製油所などで発生する余計なガスを焼却する装置から出る炎のことです。石油コンビナートのようなところで、巨大な煙突のてっぺんに大きな炎のあがっているさまはとても印象深いもので、工業化社会を象徴する光景であったと言っても過言ではありません。 それまでこの地域の象徴であった「白砂青松」的な風景に代わり、このフレアスタックの立ち並ぶ風景こそが、来るべき未来社会におけるこの地域の新たな象徴になるという期待が、この歌詞にはこめられていたということでしょう。
時代の感性のありよう
現在からみるとなかなか想像することが難しいかもしれないのですが、高度経済成長の右肩上がりの時代だったこの時期には、たしかにそのような空気感がありました。 私自身、たまたまこの頃には市原市の隣の千葉市に住んで中高生の時代を過ごしていましたから、同級生には他地域から転入してきて、これらの会社に勤めている人の子弟がたくさんおり、そのようにして町の人口がどんどん増えてゆくことを、町の「発展」として感じていました。 そして、遠足などの際にバスの車窓から眺めるフレアスタックの光景をまさに、そういう「発展」を絵に描いたようなものとして受け止めるような、その時代の感性のありようを共有していました。だからその感じはとてもよくわかるのです。
校歌の作り替えという動き
ただ、このような光景をこの地域の未来を夢見させるようなものとしてポジティブに受け止めているだけではすまないような問題が、ここには内包されていました。このような急速な工業化の「副作用」ともいうべき、環境汚染の問題です。 この時期は同時に、いわゆる「公害問題」が顕在化し、各地で公害の撲滅や環境保全を訴える市民運動が盛り上がりはじめた時期でもありました。そしてそのことが、校歌の作り替えにかかわるもうひとつの動きとなってあらわれたのです。 ※本記事は、渡辺裕『校歌斉唱! 日本人が育んだ学校文化の謎』(新潮選書)の一部を再編集して作成したものです。
デイリー新潮編集部
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