環境問題の思わぬ副作用! 工業地帯で「校歌」の作り直しが続出した「深刻な事情」
ドロドロのヘドロ節
取り上げられているのは静岡県富士市立田子浦中学校の校歌(三富功作詞、平井保喜作曲)で、第2節の歌詞は 松は緑に砂白き/なぎさに立てば鴎どり/水あこがれのふし歌い/のどけき舞のてぶりかな というものなのですが、今や松はほとんど枯れ、田子の浦港は「あこがれの節」どころか、ドロドロのヘドロ節というありさまで、校歌を凍結しようという声も出ているというのです。 そういうなかで校長は、あえて残して歌い続けることで、「自然を返せという叫び」として校歌がひとつの「トリデ」になってもよいのではないか、という談話を寄せていますが、いかにも環境保全のための市民運動が大きなうねりになったこの時代らしい反応といえるかもしれません。
失われた清き流れ
ともあれ、歌詞の内容がこれほどまでに現実ばなれしてしまったなかで、これまでの校歌を自分たちの歌として、何も意識することなく素直に口にすることがもはやできなくなってしまう状況になっていたことは間違いありません。 朝日新聞でも、翌1971(昭和46)年9月4日に「校歌無残/ウソになった歌詞」という同様の記事が掲載されていますが、こちらでは東京の武蔵野市立第四小学校や立川市立第八小学校の校歌が取り上げられ、歌詞に歌われた緑の野辺や清き流れが失われ、宅地造成ラッシュで魚も住めなくなった現状との乖離が甚だしくなった状況が報告されています。
時代状況にあった新歌詞
そういうなかで、時代に合わなくなった校歌に代わって新しい校歌を作る学校もあらわれてきます。1970(昭和45)年10月20日の読売新聞には、千葉県市原市の姉崎小学校で新しい校歌が作られたことが報じられています。 姉崎小学校には1942(昭和17)年に制定された校歌(松原至大作詞、弘田龍太郎作曲)があったのですが、 海と山とに恵まれて/空はあかるく地は豊か という歌詞が、海が埋め立てられて京葉工業地域になり、煙突が立ち並んでいるような状況とはあまりにも乖離してしまったことから、時代状況にあった歌詞をつけた新校歌(成久清一作詞、小野満作曲)を制定することになったのでした。