見えない汚染。今こそ【PFAS】について知ろう
数値化できない、人びとの不安や曖昧さを作品に
鈴木さんは沖縄のPFAS汚染を取材し、約3年の制作期間を経て、『Aabuku』というタイトルの写真集を完成させた。県内の汚染地域で実際に生活を営んできた人たちのポートレートとともに、それぞれの汚染にまつわる記憶や思いを聞き取り、綴った。 『Aabuku』には、老若男女計11組が登場する。普天間飛行場に隣接する地域に住む女性は、娘が通う小学校のグラウンドと飲み水がPFASで汚染され、ゆがんだ環境が子どもにとっての「普通」になってしまっていることに悔しさを滲ませる。少年時代から汚染された湧き水を手ですくって飲むことを日課にしていた男性は、心の半分ではPFASを気にしながらも、今のところ健康に暮らせているからしょうがないと諦める。汚染された水を農業用水にしていた農家の男性は、「自分は毒の入った野菜を売っている」と意気消沈する。汚染は日常の中にあり、ごく身近な場所で起きている。そのことを汚染と隣り合わせに暮らす人びとの生の声が、如実に物語る。 「PFASは目に見えないし、健康への影響も現時点ではまだはっきりとはわからない。とらえにくい問題だからこそ、さまざまな声が集まりました。『あのときに自分たちが使ったり飲んだりしていた水が、じつは汚染されていたのかもしれない』というような、日々の記憶が呼び起こす漠然とした不安。それは決して数値化できないものですが、汚染問題を語る上で重要な軸のひとつだと思います」 現地の人びとの語りの裏付けを取るために、鈴木さんは聞き取りと同時に入念なリサーチも行った。『Aabuku』の巻末には、専門家への取材、研究データや書籍、公文書などをもとにした解説が綿密に記されている。沖縄のPFAS汚染の実態を、地理や科学、政治などあらゆる視点から紐解いた一冊だ。
沖縄の汚染問題を引き起こす、過重な基地負担
鈴木さんは『Aabuku』を通じて、汚染問題を引き起こす社会構造にも目を向ける。沖縄のPFAS汚染の解決を難しくしているのが、米軍の権利を定める日米地位協定だ。日本の関係機関は米軍基地に許可なく立ち入ることはできず、「環境に影響を及ぼす事故が現に発生した場合」に限り、立ち入り調査を申請できる取り決めになっている。しかし、これまでに政府や自治体の立ち入り調査が許されたのは2回のみ。「県側が立ち入り調査を要請しても許可されないばかりか、日本政府も消極的で要請に関する回答を避け続けている」と鈴木さんは強調する。 「1度目の立ち入りが実現したのは、2020年の普天間飛行場の泡消火剤漏出事故のあとでした。基地内のPFAS漏出事故は頻発しているのですが、米軍はこのときに初めて漏出があったことを認めたので、沖縄県と日本政府が普天間基地の土壌調査を実施しました。続いて、基地内の地下貯水槽にPFAS汚染水が大量に保管されていることも明らかになりました。米軍はその後、台風による雨水流入で貯水槽があふれるのを防ぐために、基地外の下水施設への汚染水の放出を強行したのです。日米間の協議の結果、日本の防衛省が費用を全額負担し、基地内の汚染水をすべて引き取るということがありました」 これまで基地由来の汚染水を処理してきたのは、米軍ではなく日本政府と沖縄県の自治体だ。PFAS以外にも六価クロムやダイオキシンなどといった基地由来の有害物質問題が未解決だが、それらについても同様に日本政府や自治体が費用を負担し、除染を行ってきた。 「2016年に北谷浄水場の水が汚染されているとわかったとき、汚染除去に有効とされる高機能の粒状活性炭が導入されました。その整備や交換には年間3億5,000万円かかるといわれていますが、その費用の7割は防衛省が、残り3割は沖縄県が負担しています」 汚染問題から見えてくる、絶対的な権力と不条理。沖縄の問題は「沖縄だけの問題」ではないと鈴木さんは訴える。 「私たちが何気なく平和だなと思って暮らしている社会には、明らかな不均衡が生じています。権力者が市民の守られるべき人権を侵害する。そんな絵に描いたような構図になっているのが沖縄です。たとえ沖縄に住んでいなくても、私たちはそのことにもっと目を向けるべきです。 基地由来とされる汚染が実際に起きているとわかっていても、脅かされるのは県民ひとりひとりの暮らしだとわかっていても、日本政府は米軍を優先し、根本的な解決策を提示できずにいる。そんな社会に生きているんだということに、ひとりひとりが気づかなければいけないと思います」 「現地で聞き取りをした方々はみんな『沖縄のことは蔑ろにされているからぜひ伝えてほしい』とおっしゃっていました。沖縄出身でも在住でもない私は、いってみれば部外者であり、地理的な加害者という立場でもあるのかもしれません。ですが、そこで暮らす人びとの声を通して汚染問題を伝えることはできると信じて取り組んでいます。PFAS自体にまだまだ曖昧な部分も多く、簡単に結論づけられる問題ではありません。ですが、その曖昧さをたぐり寄せながら、立ち止まって考えてみることが大切なのではないでしょうか」 生きている限り、誰もが当事者になり得る。ある日、自分の暮らしの身近なところで起きるかもしれないのが汚染問題だ。だからこそ、汚染地域だけの問題と無関心でいてはいけない。ひとりひとりが自分自身の問題として見つめる必要がある。 考えるべきことは山積みだ。国の基準値を超えるPFASが全国各地で検出されていること、その基準値が厳しく見直されようとしていること、汚染源のひとつに在日米軍基地があること、その基地の7割が沖縄に集中しているということ。ひとつ扉を開くたびに、また次の扉が見えてくる。その途方のなさに、ただ立ちすくむのか、それともわずかな希望の光を信じて進むのか。重い扉を開け続けた人でなければたどり着けない景色がきっとあるはずだ。 photography: Sachiko Saito interview&text: Eimi Hayashi