「世界を変えて」総理に宛てられた手紙と、命を絶った男の子の叫び "13歳の声"に見る『不登校』のいま
不登校だった過去を馬鹿にされ“少年院帰り”
母親の千栄子さんは、翔さんが小学4年生のときに離婚。愛息を家でひとりにするのが心配で、自らの職場である引きこもりの若者を支援するNPO法人へ一緒に通勤していた。 千栄子さんがいつも身につけているブレスレットは、翔さんがお年玉やお小遣いをコツコツ貯めて、プレゼントしてくれたという。母思いの少年だった。 夢は、検察官になることだった。司法試験を受けるために勉強を頑張らねばと、中学から心機一転、学校に通うことを決心した。 しかし、入学してまもなく不登校だった過去を馬鹿にされた。「少年院帰り」などという言葉まで耳にした。担任に相談しても、「誰の発言かわからないと指導できない」と言われたという。 同じ中学校に通っていた翔さんの兄は、当時の弟をこう語る。 「『先生はいじめも解決できないし信用できない』と弟は言っていました。『自分は変わろうとしたのに大人は全く変わらない。助けてくれない』と話していました」
自ら訴えても届かなかった
翔さんと千栄子さんは学校や教育委員会に対し、転校させてほしいと求めたが、願いは受け入れられなかった。泉南市教育委員会は、「翔さんがまずは登校できる状態にならないと転校の判断ができなかった」と話し、精神疾患などの診断書があれば、転校の判断ができたとしている。 その後、翔さんは行政や民間の複数の窓口にも自ら訴えていたことがわかった。弁護士会が設けているLINE相談窓口、大阪府の相談窓口、自殺予防の活動をしている団体…。しかし、いずれも解決にはつながらなかった。 母の千栄子さんは言う。 「翔は自分の中でいろいろ考えて、いろんな大人にSOSを発信して闘っていました。生前、先生や大人のことを偽善者と呼び、次第に生きていても仕方がないと漏らすようになっていきました。母親として、守ってあげられなかったことが悔しいです」 泉南市では、全国でも珍しく「子どもの権利に関する条例」を2012年に制定し、「子どもにやさしいまち」の実現を掲げている。条例が守られているかを検証する市の第三者機関は、「建前だけの条例になっている」と指摘したうえで、学校や教育委員会が翔さんのSOSに向き合っていないと批判する。 「翔君は大人の社会に失望して自ら命を絶ちました。子ども同士のいじめの問題として終わらせてほしくない。大人に突きつけられた課題として考えなければならないのです」(泉南市子どもの権利条例委員会 吉永省三会長)