「第九」地方で市民集めて合唱、「恥をかくだけ」と周囲は冷ややかだったが…「また歌いたい」37回継続
私たちの世界は音楽をはじめ様々な音や声であふれ、それにより癒やしや喜びを感じることもあります。思いを込めて音色や声を響かせる人たちを紹介します。 【写真】400人超の合唱団が編成された1986年の第1回公演
初公演「声の圧が体に響き、染みこんでくるようだった」
昨年12月14日夜、宮崎県延岡市の延岡総合文化センター大ホールに、年末恒例の市民合唱団約90人による「第九」の迫力ある歌声が、荘厳なオーケストラの音色とともに響き渡った。
市民らが中心となって「歌う会」をつくり、37回の歴史を重ねてきた「のべおか『第九』演奏会」だ。ベートーベンの交響曲第9番(第九)を歌う公演は全国各地で行われるが、人口10万人ほどの地方都市でここまで続くのは珍しく、今回も多くの観客がその豊かな歌声を堪能した。
延岡で第九が産声を上げたのは1986年。延岡総合文化センターに勤める赤澤孝さん(73)(延岡市西階町)が中心となり、センターの開館1周年記念事業として開かれた。
合唱に親しむ市民を集め、オーケストラの演奏に合わせて第九を歌う計画に、周囲からは「難曲すぎる」「恥をかくだけ」と冷ややかな反応もあった。ただ、赤澤さんは市内には旭化成の関係者を中心とした合唱グループが数多く存在し、音楽文化が根付いていると感じていた。
果たして、各グループを取り込む形で編成した合唱団には県北各地の合唱愛好家らも加わり、約400人にも上った。「団員の声の圧が体に響き、染みこんでくるようだった」。赤澤さんは初公演をそう振り返る。団員から「また歌いたい」と声が上がり、その後の継続開催につながった。
団員不足や高齢化で姿を消した公演も
全国で文化施設の建設が進んだ80~90年代、第九公演はブームに乗り各地で開かれた。だが、合唱団員の不足や高齢化もあり、姿を消した公演も多い。
大分市で77年から続いてきた第九公演も、昨年末の第46回をもって活動を終えた。主催してきたNPO法人おおいた第九を歌う会の酒井宏事務局長(68)は「団員が減るとチケットも売れなくなり、公演を維持できなくなる。続けたかったが厳しかった」と話す。