ガザを「引き続き注視」の態度で良いのか ジェノサイド予防の研究者が考える、「砦」の日本が目指すべき立ち位置
「人間の安全保障」を貫くことが、日本の強みに
━日本政府はネタニヤフ氏ら3者に逮捕状が出されたことに対し、「捜査の進展を重大な関心を持って引き続き注視する」と述べるにとどめました。日本政府のこの姿勢をどのように見ていますか。また日本は今後、人道危機や他国の戦争犯罪に対する態度を含め、国際社会でどのような立ち位置を目指すべきでしょうか。 日本はICCへの最大の資金拠出国であると同時に、現在は赤根智子判事を所長として輩出している、特別な地位にあります。「引き続き注視する」という態度で良いのか?ということが問われています。 アメリカはICCに参加しておらず、ICCがイスラエルのネタニヤフ首相らに逮捕状を出したことに激しく反発しています。米下院ですでにICC制裁法案を可決するなど、ICCに対し経済制裁を科す動きを本格化させています。 赤根所長は朝日新聞のインタビュー(2024年12月12日配信)にこたえ、現段階でどのような制裁になるかは不明としつつも、制裁対象が一部の職員のみならず、所長はじめ複数の検察官、裁判官、あるいはICCそのものにまで広がる懸念を示しています。そうなると、米国に加え欧州の銀行もICCと取引停止になる可能性もあり、職員への給与も払えずICCの活動は実質的に機能停止に追い込まれることを危惧しています。 そのような事態になれば、私たちがガザやウクライナ、そしてアフリカの諸国でも目撃した深刻な国際人道法違反を止め、犯罪者を処罰するすべもなくなります。ドイツは日本に次いで第2位のICCへの資金拠出国ですが、過去の歴史からイスラエルに対しては米国同様の態度をとっています。 その意味では、大袈裟に聞こえるかもしれませんが、日本は国際社会が長年積み上げてきた規範を守る「砦」といえます。同盟国・米国からそれなりの圧力がかかることも予想されますが、そうした動きがあったとしても、米国とは一線を画した態度をとり、国際規範の砦としての日本の立場を貫くために、日本政府にとって最大の庇護者は私たち国民です。 日本政府のICC支援の方針を後押しすることが、日本政府がICCの最大拠出国として、その役割を果たす何よりの支援になり、ひいてはそれが、ガザやウクライナをはじめ、言語を絶する人道法違反、戦争犯罪にさらされている人たちへの連帯を示すことにもつながるのではないでしょうか。 私は、こうした立場を貫き、国際社会における日本のこれからの立ち位置を考える時、「人間の安全保障」(※)という概念がキーワードになると考えています。 (※)人間の安全保障(human security)・・・国連開発計画(UNDP)が1994年の「人間開発報告書」の中で提唱した。国家ではなく、一人ひとりの人間を対象とした概念で、紛争や暴力、飢餓や貧困からの自由を目指す。日本人初の国連難民高等弁務官だった故・緒方貞子さんは、「人びと一人ひとりに焦点を当て、その安全を最優先するとともに、人びと自らが安全と発展を推進することを重視する考え方」と説明している。 日本政府は1998年以降、「人間の安全保障」という考え方を外交の柱の一つに位置付け、途上国向けの援助政策の中で重視するとともに、首脳会議や国際的な演説の場でも繰り返し言及してきました。 日本は、外交の枠組みでこの概念を積極的に取り上げた国の一つです。「人間の安全保障」というキーワードは様々な批判に晒されつつも、日本を含む推進国の取り組みを背景に、国際社会で規範的な概念として普及してきた歴史もあります。 ICCの決定に対する態度を含め、日本があらゆる外交の場で「私たちは『人間の安全保障』を最重要の目標に掲げます」という姿勢を貫くのであれば、例え一部の国から冷ややかな扱いを受けたとしても、新興国・途上国のグローバルサウスを始めとした多くの国からは信頼と理解を得られるはずです。そうした一貫したメッセージを国際社会に発信することは、日本の強みになります。 ただそのためには、援助や外交政策のみならず、子どもの貧困対策など、あらゆる国内の政策においても「人間の安全保障」を打ち出して、「人権」や「人道」の重視を前面に出していくことが重要ではないかと思います。 ━「人間の安全保障」を打ち出していくときに、現在の難民受け入れに対する日本の消極姿勢のままでは、説得力に欠けます。日本は今後、難民の受け入れをどう広げていくべきでしょうか。 ロシアによる軍事侵攻からまもなく、日本政府はウクライナから避難してきた人々の受け入れを表明しました。40年ほど前になりますが、過去に日本は、ベトナム、ラオス、カンボジア三国から逃れてきたインドシナ難民も、人道的な判断で受け入れました。こうした前例は素晴らしいことだと思います。 とはいえ、島国日本には、パスポートを持ち、かつ飛行機代を捻出できる人しか辿り着けない現実があります。やっとのことで辿り着いた難民申請者の支援の拡充とともに、より多くの難民を受け入れるために、日本は第三国定住(※)の制度をもっと生かし、対象を広げるべきと考えます。 (※)第三国定住・・・難民キャンプなどで一時的な庇護を受けた難民を、当初庇護を求めた国から新たに受け入れに合意した第三国へ移動させること。難民は移動先の第三国で、庇護や長期的な滞在許可を与えられる。 難民の受け入れを拡充する際に、特に大事なことは、政府が理由や立場を明確にし、国民に説明した上で理解を求めることだと思います。「日本はエネルギーや食糧をはじめ、様々な物資を輸入に頼っている。こうした現実がある一方で、モノは入れるがヒトは入れない、という理屈は通らない。難民受け入れについても国際社会の一員として、応分の責務を果たすことが求められている」というような。 とはいえ、いきなり身の丈を超えた大量の難民受け入れは、現実的ではないと思います。この話を私はよくマラソンに例えるのですが、普段運動を全くしない人が突然フルマラソンを走るのは難しいですよね。でも軽いジョギングから始めて少しずつ距離を伸ばし、42.195キロの完走を目指すことはできます。 難民の受け入れも同じように、最初は少ない人数から始め、しかし徐々に、確実に増やしていく。方向性を示し、目標を掲げつつも、小さな一歩から始めれば、理解も得やすいはずです。