「ミッレ・ミリア」で初めて勝利した外国人ドライバー「ルドルフ・カラッチオラ」…ベンツからアルファに移籍して襲った大事故からの彼の運命は…!?
冷静なドライビングで劇的勝利
ボローニャの後は、ほとんど直線でメルセデス・ベンツSSKLの得意とするところだ。カラッチオラは再びクルマから最大のパワーを引き出した。彼の前にはアルカンジェリ、カンパーリ、ボルザッキーニの3台のアルファ ロメオが走っていた。彼らはヘッドライトを相互に使うため横に並んでいたのであった。 道路は長い直線の後、少しカーブになっていた。以前、この道路はもっとまっすぐになっていたのだが、イタリア人たちが大通りの樹木がこれまでとは違う方向を示しているのに気が付いたのは、あまりにも遅すぎた。彼らは140km/hのスピードで旧道の凹部に突進し、カラッチオラは正しい道路を走り去った。 すると突然、道路沿いに人影が現れた。腕を振り回しながら飛び出してきたのだ。狂人か? カラッチオラはブレーキをかけた。 「止まれ、フリドリンのわれわれの燃料補給基地だ」 とコ・ドライバーのセバスチャンがびっくりしてわめいた。 「おめでとう、トップだよ!」 とメカニックは彼らに言った。その間、シャルリーとノイバウアーはブレシアの市場にいた。最後の瞬間まで、悪いことがなければカラッチオラは今にも着くはずであった。 寝不足で青ざめたシャルリーは、ノイバウアーの横で石垣にもたれかかっていた。7時22分、水平線上に銀白色の点が浮かび上がり、だんだんとこちらに向かって大きくなってきた。10秒後にメルセデス・ベンツSSKLに乗ったルドルフ・カラッチオラがゴールに突入した。このマンモスレースの歴史の中で、初めて外国人がイタリア勢を打ち負かしたのだった。 彼らは1931年に数多くの勝利を納め成果を得た。つまり、カラッチオラは賞金、割増金、出場料合わせ合計18万マルクを手に入れた。 しかし、時代はすぐ変わってしまう。1932年にはどこにも参戦することができなかった。ドイツ帝国の失業や暴動などの影響で、ダイムラー・ベンツ社はレーシングスポ-ツをさらに押し進めることが不可能となったのだ。