新聞購読者が読んでいるのは「お悔やみ」欄だけ、会社を畳み副業に身を投じた60代・新聞配達員の希望
■ Kさんが新聞配達の前に経営していた会社 Kさんは10年前まで、弟と二人で青果の卸会社を経営していた。青果市場から仕入れた野菜や果実を地元のスーパーや八百屋に卸す仕事だ。父親から引き継いだ家業だった。 「青果卸」は2000年以降、小売業やライフスタイルの変化に伴い、倒産や統合で数を減らしている。Kさんの会社もその一つだった。 「今、日本全国で幹線道路沿いに同じようなチェーン店が並んでいますよね。衣料品の『しまむら』が全国にあるように、2000年代に大型店が地方に次々と進出した。大型店は卸を通さずにメーカーや生産者から直接、商品を仕入れます。青果にも同じことが起こった」 イオンやマックスバリュなど大型スーパーは、青果市場や生産者から直接青果を仕入れるため、Kさんのような卸は入る隙を失った。さらに、Kさんの顧客である小さな商店、地元のスーパー、農協の店舗などは、大型店に押されバタバタと潰れていった。 「それまではだいたい年8000万~1億円の売り上げがありました。ところが、商売を畳むころには年2500万円まで落ち込んで。卸の利益は約1割なので、儲けはたった年200万円、弟に給料を払えなくなりやめました」 Kさんに残されたのは、駐車場の賃料収入だけとなった。そこで副業として始めたのが新聞配達だったのだ。 「新聞配達員は新しい人が入っても70代ばかり。自分は当時、50代半ばだったので『待望の新人』として迎えられました」 だが、経営者だったKさんにとって、新聞配達は生易しいものではなかった。 「チラシの折り込み、雨の日に新聞をビニールに包む作業など慣れないことばかり。ミスがあると若い店主からやり直しを命じられ、プライドも傷ついた。雨の日の配達も憂鬱だし、何度辞めようと思ったことか」 山登りのトレーニングのつもりで続けてきたというKさん。彼の心を慰めたのは、配達の道のりを照らす星空だった。11月はしし座流星群、12月はふたご座流星群、バイクを路肩に停め、しばし天球を滑る流れ星を見上げた。 「火球が花火のように絶え間なく降り注いでくる。感動しますよ。最近はネットで宇宙ステーションが見えるタイミングをチェックしています。国際宇宙ステーションは大きくて、飛行機のように点滅することなく、光を放ちながら移動します」