<SPORTSかんさい+>太陽の子、夢は続く 大阪桐蔭・ラマル選手 憧れのチームで聖地
第95回記念選抜高校野球大会で4強に進出した大阪桐蔭に、輝くような笑顔とあふれんばかりのパワーが魅力の「太陽の子」がいた。スリランカ出身の両親を持つラマル・ギービン・ラタナヤケ選手(2年)だ。 ◇スリランカにルーツ 父のバンダーラさん(51)が来日したのはおよそ30年前。最初は愛知の日本語学校に通った。アルバイトと勉学に明け暮れる日々だったが、「運良く、まわりの人に恵まれた」。全く文化の違う異国の地ながら、水が合った。大学、大学院と進学。仕事は何度か変わったが、順調に働いてきた。 スリランカ出身の妻と結婚し、幸せの中で生まれたのがラマル選手だった。母国の言葉で「太陽のように輝く男の子」という意味の「ラマル」と名づけた。願いが伝わったのか、明るくて元気いっぱいな子どもに育った。ラマル選手自身も周囲に恵まれ「(スリランカにルーツがあるといっても)嫌な思いをしたことはない」と振り返る。学校でもいつも人気者だったという。 ラマル選手の運命が変わったのは小学3年か4年のころ。それまでは空手を学んでいたが、友人の誘いで出会った野球に魅了された。当時からパワーが抜群で、あっという間に評判になった。うわさを聞きつけて視察に訪れた名古屋の中学硬式野球チーム・愛知港ボーイズの関係者がその打球に魅了されて勧誘し、後に入団した。 白球を追う中で、ひそかに芽生えた思いもあった。 当時はテレビで見ていた甲子園。2018年に大阪桐蔭が春夏連覇を達成した。その強さを見て、あっという間に憧れた。加えて、父から聞いた、来日当時の学生時代などは金銭的に厳しく必死に働いたという苦労話が頭の中にあった。父はそれにもかかわらず、野球道具などを与えてくれた。 憧れと感謝。その二つが化学反応を起こしたのか。大きな夢ができた。「大阪桐蔭に入って、甲子園で優勝する。日本代表になって日の丸をつける。そして、プロに入ってお金を稼いで、お父さんたちに楽させてあげたい」 持ち前のパワーと長打力で愛知港ボーイズでも大活躍した。自信をつけて大阪桐蔭に入学。夢の第1段階をかなえた。 ◇グラウンドに輝く「15」 大阪桐蔭は寮での生活を余儀なくされる。先輩、後輩の人間関係など、父は心配していた。だが、応援に訪れた試合で安心した。先輩部員たちが「ラマル! ラマル!」と親しげに何度も呼びかける姿を見たからだ。「かわいがってもらえている。すごく良いことだなって思いました」 息子の成長にも驚かされた。実家にいたころのラマル選手は一言で言えば「甘えん坊」。ところが、年末年始に久しぶりに帰省した息子はちゃんと自分の荷物を持ち運びし、率先して手伝いもする。見違えるような姿に感動したという。 とはいえ、まだ高校2年生の球児。食べることが大好きだという。特にお気に入りなのが「おすしのサーモン」と「スリランカにいるおばあちゃんが作ってくれたカレー」だ。太平洋西部とインド洋に浮かぶ二つの島国。それぞれの文化と家族の思いが「太陽」の笑顔と力を育む。 背番号「15」で挑む聖地でのプレーは「本当に楽しみ。出られることに感謝している」とウキウキしていたが、準々決勝の東海大菅生(東京)戦の守備で出場した。打席に立つ機会はなかったが、まだ下級生だ。 憧れはOBでもある森友哉選手(オリックス)。大先輩のようなフルスイングで甲子園で輝きを放つ機会はまだまだ残っている。【岸本悠】 ……………………………………………………………………………………………………… 「SPORTSかんさい+」は毎週火曜日掲載です